Nu blog

いつも考えていること

コロナ禍

京都から東京に越した人が、東京暮らしを楽しくないと書いている記事を見た。

三流国家の首都に暮らすことについて|デビット・ライス|note

 

ほな京都生活を楽しんでいたのかと思ったら、特別にそうでもないようなので、どこにいたら楽しいんやろかと大変気の毒に思う。

先日京都へ行ったが、美術館も多く、重要文化財にあふれ、宿泊業、飲食業、ファッションといった様々な点で着実に新しい文化を花開かせているあの土地が、私は好きだ(住んだことがないから、暮らす難しさは分からないけれど)。

一方で、東京もほぼ同じ理由で大好きだ。京都と比べれば、さらに集客力に優れ、新しいことだけで構成されているような街だ。道が汚いとか、空気が臭いとか、人が多い分変な人も多いとか、問題を孕みつつも、全てを飲み込んで余りある街だ。そりゃあ、ニューヨークやパリ、アラブやアジアの都市の方が刺激的だと言う人もいるだろうが、それはたまたま日本に生まれてしまった私ですから、東京が最も身近に触れられる(言語の壁がない)最先端の街なのである。

 

さて、コロナ禍の影響でそんな東京の街も死んだようだった。美術館は閉鎖され、イベントごとはことごとく中止、外食も憚られる行為とされ、スカイツリーに登ることさえダメだとされた。仕事には行かされるので、楽しむことだけ禁止された戒厳令とでも言おうか。

酸素の足りない金魚のように、私は口をパクパクさせていた。

そんなある日、とんでもなく晴れて温かい一日がやってきた。私は朝の一時間を日向ぼっこに費やした。

これからどうなるんだろうと思った。だって、一、二週間が山場と宣ったおっさんが、その二週間を過ぎた途端、さらに十日間は各々自重自粛すべしとおふれを出して、その上緊急事態宣言なる戒厳令そのものを発令できる法案を通そうとしていた。これは今年一年この調子でもおかしくない。そのくせオリンピック・パラリンピックだけは強行する。そこで感染者が拡大したとしても「なかったこと」にされるだろう。

駅に張られた色あせたポスターのことを思い出す。そこには「特別警戒」と書かれている。いつからいつまでが「特別」なのか。少なくとも私が越してきた四年前から東京メトロはこの何の変哲もない駅で「特別警戒」し続けている。きっとほかのほぼ全ての駅でも同様に「特別警戒」しているのだろうと思うと、笑いも出ない。

そのうち監視カメラにサーモグラフィーがつき、体温の高い者は職務質問を受けるような時代になる。職務質問を受けて仕事に遅刻したら罵倒されるから、体に貼る冷えピタみたいなのが売りに出される。

 

娯楽のしぼんだ街はすべてつまらない。毎日がお祭りだからこそ都市である。今日はお祭りの参加者、明日は裏方と瞬時に顔を付け替え私達は生き延びていく。

ずっと真顔でなんて生きていられない…。