Nu blog

いつも考えていること

焼畑にて

五月末日のこと。東京上空を行くブルーインパルスを見た。

近くの病院の横を通ったら、看護師さんやお医者さんらがこぞって上空を見上げていた。五本線の雲を指差しているから、何か事故でもあったのかと思った。

調べてみたら、医療従事者への感謝と敬意を表すためブルーインパルスが飛ぶと知った。その付近を再度飛ぶことも合わせて。

それで私は上空を眺めていた。

コンビニから出てきたおっさんが「何事ですのん?」と聞くから「かくかくしかじかだそうで」と伝えた。おっさんは「天皇陛下でも来られたんかと思った」などと見当外れなことを言う。気持ちはわかる。

それで私はチャリをタラタラ漕いだ。なかなか来ないのでちょっとしびれを切らしたのだ。

すると大きな音が近づいて、飛行機が横切っていった。

一瞬のことだった。

わーあ、と歓声が上がった。私もおお!と喜んだ。感嘆の声がそこかしこから聞こえた。ええもん見たねと口々に褒めそやした。遠くに、東京から離れ行くブルーインパルスが見えて、人々は散開した。

「おお!」だなんて。まったく無邪気なものだ、と自分を笑っちゃう。はは。サヨクならば、かようなパフォーマンスごときに踊らされてはならぬ。ましてや自衛隊の軍楽隊ぞ。権力の手駒の曲芸に惚けた嬌声を上げるなど!

案の定、ツイッターを開けば、そんなことより物資を寄越せ、東京だけかよとの批判の声がちらほらと流れる。そりゃまあ、そうだろう。

しかし、実際にああも単純に歓声をあげた私は、なんの文句も言えないでいる。

それどころか、おっさんやコンビニの店員、ガキンチョ、看護師さん、お医者さんなどといった周囲の人らと和気藹々としたあの時間を、何か美化したくなる。

そんな感じ。

 

翌日。横浜でようやく開催されたバンクシー展に行く。初日だからか取材が来てた。声をかけられたが逃げた。

コロナ対策について話す気は起きないし、バンクシーについて何か言えることがあるだろうか、いや、ない。

なぜって、このように資本主義化されたクソ展覧会に意気揚々と初日から並んで観に行くなんて、バンクシーが風刺する対象そのものである。その上、バンクシーや芸術や社会について知ったように語ろうもんなら最悪だろう。最悪だけは免れたい。

誰も答えてくれなかったからか、お昼のニュースにいわゆる「街の声」はなかった。賢明であるが、残念である。

続々美術館が再開する。会社も出社率が急上昇した。まるで何事もなかったかのように突然すべてが動き始める。大慌てで対応しなくちゃならないことばかりだ。

 

翌々日、上野の北欧を訪れた。あの大人気の北欧が、ガラガラ。外気浴で視界がグラングランした。

レジリエンス。一人の身体感覚ならなんとかなるが、この社会全体にはまだ早い。天災なのか、人災なのか。焼畑からはすぐに実らない。