Nu blog

いつも考えていること

スケッチ(きょうだい)

姉のハルカからのメールには気づいていたが、駅前のカフェで時間をつぶしているようだったので、トモヤは返信しないでいた。

これを終わらせるまでは帰れない、と得意先からの注文を捌いているうちにとうに22時を過ぎていた。事務室内の誰も帰っておらず、鬼気迫る表情でパソコンを叩いていた。

ハルカからの「まだなのか」という苛立ちの伝わるメールが目に入り、トモヤは観念して立ち上がった。課長に「家族が上京しており、そろそろ帰りたい」旨伝えると「家族は待ってくれるがクライアントは待たない」という定型句が返ってきた。ジワリと背中から汗が出るのを感じた。進捗および納期までの対応を説明し、ひとまず今日は帰ってもいい、という言葉をようやく引き出した。

会社を出ると22時30分だった。説明に20分かかっていたわけだ。急いでカフェに向かったが、ハルカはテーブルに突っ伏してふてくされていた。

 

ほんとあんた大丈夫なの、とか、今は良くてもそのうち体壊すだけだよ、とか、今は他にも仕事あるんだからさ、といった小言めいた言葉しかハルカにはなかった。もう随分前から、兄弟とはいえ他人で、通じる言語を持っていないことには気づいていたから、一方通行的なことしか言えやしないのだ。

両親ともそうだった。結婚はもちろん、彼氏もおらず、派遣社員として雑用をこなす日々で、お昼の弁当は母親に作ってもらっていたし、休日は自室でYouTubeを観るハルカに、小言しか言われない。さっきトモヤに言った言葉はすべて、ハルカが言われたことなのだ。

「ミチヤとは会ってるの」

小言も飽きたところで、ハルカは聞いた。

「会ってない」

とトモヤはぶっきらぼうに答えた。それで会話は終わり。ハルカはミチヤにメールをしようと思った。

二卵性双生児のトモヤとミチヤは、生まれてこの方一度も気があった試しがなかった。母の胎内で殴り合いでもしていたかのような仲の悪さだった。トモヤは運動嫌いで、放送委員などをし、休日は家にこもっていたが、ミチヤは野球部で走り回っていて、休日も家にいることはなかった。今、二人とも東京にいるのが不思議だ。こんな気の合わない二人が、どうしてともに東京に引き寄せられるのか? 実家から出たくないハルカにはわからないことだった。

 

翌朝、ハルカはせっせと髪やメイクを整え、四谷での結婚式・披露宴へと出かけた。もうそろそろ10回くらい出席しており、はじめの二、三回こそ美容院でセットしてもらったが、そのお金もバカにならないので、すっかり自分でやるようになった。

好きなミュージシャンのライブやこうした結婚式などで、3、4ヶ月に一回東京へ来ている。来るたびにトモヤの家に泊まる。いつ来ても、帰りは夜遅く、彼女の気配もなく、土日は出勤するか昼過ぎまで寝ている、そして布団の中で夕方を迎えるトモヤを見るのは、なんだか悲しい。

トモヤはハルカに「いってらっしゃい」と言った後、また眠り、次に起きた時には昼だった。

スマホの画面を見ると上司から「昨日聞いた進捗から進んでいないようですが大丈夫でしょうか」とメールが入っていた。同じ文言のメールが4通あって、初めは朝の6時、そこから2時間おきに送られていた。たぶん、1時間後にまたもう1通来るだろう。

入社したての頃、その文言の意味がわからなかったが、つまり出社しろということなのだ。もちろん土日は本来休みなので、これはトモヤの自発的な出社である。まさか休日手当なんて発生しない。

出社すると、昨日の夜とほぼ同じ光景が広がっていた。みな黙々とパソコンに向かっている。トモヤは上司の視線を感じながら、猛然とキーボードを叩いた。

「ログインするだけなのにガタガタ音させたんじゃねえよ」と窓に向かって伸びをしながらいう声が聞こえた。

 

披露宴は5時に終わり(なぜ披露宴は2時過ぎに始まって、昼飯でも晩飯でもないフレンチを食べさせられるのだろう?)、マミに会うために恵比寿へ向かった。マミは新卒で化粧品メーカーに入り、以来東京で働いている。社内結婚をし、Facebookを見るといつも海外旅行に行った写真がアップされていて、マミらしいなあと思う。

マミに連れられ、よく知らないカフェに入る。カフェはカフェでも、地元のサンマルクなら落ち着くのだが、小洒落たところに入るのは緊張する。かといって、東京のチェーン店は一様に狭く、椅子のサイズも半分くらいしかないように感じるから、東京にいる間は常に落ち着かない。

マミとの会話は盛り上がりを欠いたまま、どことなくよそよそしく始まり、打ち解け切らないまま終わった。

ハルカはすっかり疲れ切って、若い男女が騒ぎ、サラリーマンが行き交う恵比寿を出て、弟の家へと帰った。いまさら、披露宴で飲んだシャンパンと白ワインの酔いがきていることを感じていた。

 

トモヤの部屋でだらけていたら、ミチヤから「元気してます。明日はバイトなので会えないです。帰省する時は連絡します」とメールがあった。今朝、ハルカがメールしていたので、その返信だ。

どうして私たち3人は、今こうしてそんなに仲良くないんだろう、とハルカは思う。と同時に、なんとなく本当なら私もミチヤもトモヤもそれぞれ結婚して子供が一人か二人いて、実家に帰ったら両親に加えて配偶者3人に子供が4、5人いてるはずなのだとも思った。

20年前と同じように、両親と私たち3人で年を越したり盆を過ごすなんておかしい。何をどう間違っているのか。あんたたちはやりたいことをやりたいようにしてきたと呆れた顔で両親は言うけれど、私たちはやりたくないことをやらないでいたらこうなっただけだ。

日をまたぐ直前にトモヤが帰ってきた。

「ねえ、もしかして」

とハルカは青白い顔のトモヤに話しかけた。

「菜々子ちゃんからもらったアメをカバンの中にいつまでも待ってる、ってからかったの怒ってたりするの?」

「何の話だよ?」

「え、ほら。あんたが中二で、私が高一の時。あんたが好きだった菜々子ちゃんからアメもらって…」

「いや、菜々子ちゃんは覚えてるけど、アメの話はぜんぜん…」

「そうなんだ。じゃ、もしかしてマリオカートで下手くそだったからやらせてあげなかったこととか?」

「いや、だから、なんなのよ、いきなり」

「や、なんであんたたちが、こう、ずっと怒ってんのかなって。何がダメだったのかわかんなくて…」

「いや、ないよ。別にそんな、なんかこれで怒ってます、みたいなのないよ。ていうか怒ってないよ」

「そうなの? じゃ、なんで私たちこんな感じなの?」

「こんな感じってなんだよ、別に何も間違ってないよ」

「何も間違ってないのかなあ…」

 

明けて日曜。ハルカはトモヤとフレッシュネスバーガーでお昼を食べて、新幹線に乗って帰った。

実家のある最寄り駅まで、新幹線の駅からいくつか乗り継いで、着く頃にはもう夜になっていた。

一階だけ明かりがついていた。二階は真っ暗だ。今からハルカが電気をつける。

ただいま、といって扉を開けた。