Nu blog

いつも考えていること

日記

キングオブコント

一本目のカゲヤマが、裸になって謝る、というおバカなネタをやり、それがみょうに高得点で、その後の採点がよくわからないものになった気がする。たしかにおもしろかったのが困る。

や団の灰皿を投げる演出家もおもしろかった。けど、タウマイゼンとかアポリアといったことばが覚えられない。バズワードじゃないというか。知的探求の始まりにある驚異、つまり驚いて入ってくればいいんだよ!というセリフは面白かったんだけど。灰皿を回しすぎたのかもしれません。

優勝したサルゴリラはもうすごかった。どこにこんな人たちがいたんだ、という感じ。一本目のおバカなマジシャン。ナッツをへんな箱に入れて変えたり、カードに筑波山尾瀬や秋のメキシコがプリントされていたり、そしてパソコンケースを乱用するのも意味不明で最高だ。「中にクッション性のやつが入っている……やつです」じゃないでしょうよ。そして、ちょっと考え事をしておくと言って「午前中に区役所行って……」って本当の考え事をするなんて発想力がすごい。

二本目は野球部の監督がなにもかも「魚」にしてしまうネタ。青春という魚を釣り上げ、大きく育てて、産卵させる。あるいは夢という魚を追いかけたり、時間という魚がなんかうじゃうじゃいたり、しまいには「昔世話になった魚がいて」と、「という」部分を略してしまうのだからわけがわからない。「俺は魚だっけな?と思うことがあるかもしれない」などと言い出してからはもう本当に面白さがピークで怖かった。「魚はやめろよ!」と言われた直後に「魚は……」と切り出すのもすごかったなあ。

どちらのネタも、変なことをやめろと言ってるのに変だと思ってないからそのまま突っ切ってくる、という中身なのだけど、それってコントの基本だよなあとおもう。このひとは本当に生きていて、それが変だとは思っていない。

笑っているんだけど、もしかして自分もどこかの場面では、この変な魚になっちゃってんじゃないか?と思わされる。

 

M-1の三回戦動画があがっている。ハイツ友の会の、飲酒喫煙者に対する冷ややかな反応がめちゃくちゃおもしろかった。カベポスターのあだ名もよかった。シンクロニシティと十九人も気になる。ほかにもいろいろおもしろかったけど、ちょっとメモしきれてない。

 

世界サブカルチャー史、日本編が終わってしまった。1960年代から1990年代の日本文化を、主に映画を中心に読み解くシリーズ。サブカルチャー史なので、映画だけではなく、書籍、音楽、ドラマなどなどもっと幅広く取り扱っても良いように思いつつ、映画を中心としたことで、描けたことがあるようにも思う。1990年代の最後、2000年公開の作品として、深作欣二バトル・ロワイアルを取り上げ、すでに到来した新自由主義経済への怒りを語ったことがとても印象的で、この続きに2000年代があれば、そうした「生き残り」「サバイバル」「負け組の逆襲」みたいなものがひとつのテーマになったのだろうか、とおもう。

で、初めて映画「バトル・ロワイアル」を観たら、北野武の名演ぶりに感激した。設定上、子供たちに復讐したい大人の代表として演じてしまいそうなところを、こんな大人になった自分への憤りや悲しみ、そんな自分への懲罰的な行為として演じているようにおもうわけで。それは北野武というひとが自身の映画で再三描いている自分の死、うっすらとした自殺願望、希死念慮みたいなものとつながるばかりでなく、この日本という国がもっている自殺願望みたいなものとつながるような気がする。この日本という国には、もうずっと、それはいつからなのかはわからないけど、ずっと、つねに、うっすらとした自殺願望があるような気がする。そのニヒリズム、刹那主義的なおもいが、戦争を呼び、文学を形造り、エンタメを突き動かしてきたような気がする。だから北野武の映画をわたしたちは他人ごとのようには観られないんじゃないか。そんなことをバトル・ロワイアルから感じた。そして最も重要なことは、キタノが最後に発する「中川、ガンバレ、中川、ガンバレ」というひとりごとのようなエールだ。刹那的なおもいのなかで、子供たちにはがんばってほしいとおもってはいる。だから、おれを殺してくれと頼む。この倒錯した感情は、日本という国のスクラップアンドビルドの土台だったようにもおもう。過去を否定してくれ、あたらしく塗り替えちゃってくれ、というやけっぱちな態度。ところがここ十数年の日本にはその倒錯した感情さえ失った、もっと曖昧な、揺蕩うような「生きていたい」願望が台頭しているような気もする。こどもたちにおれを生かしてくれ、おれを救ってくれ、と頼むような、すがるような大人が増えた気がする。

 

SOMPO美術館のゴッホ展に行ったらすごいひとだった。ゴッホってだけで集客力が高まるのだなあとおもうが、写真OKなせいで列の停滞がはげしく、めんどうなので並ばずにふらふらして見た。

明色の上に明色を重ねるこころみの絵はとってもよかった。きらきらしてた。バカみたいな感想ですが。

 

マイ・セカンド・アオハルの脚本がいいとおもう。凡百の恋愛ものかと侮っていたら、30歳が20歳に混じるという設定を活かし、かつ年上のすてきなひとたちが上手に出てくるので、わりとわくわくしちゃう。やられた。

 

時をかけるな恋人たちもやっぱりいい。今野浩喜安藤裕子の夫婦回はかなりグッときてしまった。もうすっかりおじさんなのかもしれない……。

 

いちばんすきな花はおもしろくない。属性はマジョリティーだけどあてはまりきれないわたし、という厄介な自己認識はわざわざドラマにしなくてもそこらへんに転がっているのでは、とおもってしまうし、そういったひとたちに救いを与えても仕方がない気がしてしまう。それぞれ生きているなかで辛いことはある、というのはわかるのですが……。

 

そんな感じで、突然寒くなった十一月。