Nu blog

いつも考えていること

日記

夏の休みに、カナダへオーロラを見に、ニューヨークへ知人に会いに行った。

さまざまなことがあり、まよなかの二時に飛んだ飛行機の窓からオーロラが見えた。黒い夜空を緑色の、おおきな薄いカーテンがひらひらゆらめいていた。

 


アンリ・ルソーを見ていて、自分に必要な技術は、自分で高め得ることができるんだな、とつよくおもった。それは、正統な美術教育を受けて、あらゆるすでにある技術から何かを選ぶこととは違う。そうした正統な知識の有無によらず、ただわたしだけに必要な技術があり、それを得るために描き続けること。たとえば文章術だって、学べばいくらでもあり、学ぶことで人に伝わりやすくなることは多々あるだろうけれど、ただ学ぶだけではなく、私のやりたいこと、私に必要なことのための技術へと昇華すること、磨き上げることのほうが大切で、もっと簡単に言えば、技術の習得に終始するのではなく、ひたすら楽しんで書くことで得られるなにかべつのご褒美があるのかもしれない、ということが言いたいから、このブログなんて誰も読んでないけれど、じぶんはもっとじぶんにひつような技術を磨く意識を持って書いていこうとおもう。

 


ニューヨークではクラブサンドやステーキ、ピザ、中華などいろんなものが食べられた気がする。旅行者は多いのだけれど、ニューヨークのお店で並ぶことってあまりないなあとおもう。ちゃんとしたレストランはリザーブ必須なのだろうけども。人気のダイナーで数名並んでいたが、数分で人が入れ替わったので、そんなことをおもった。日本って、なんかめっちゃ待たされるというか、回転率がわるいというか、そんな気がする。いや、ものすごく漠然とした体感です、すいません。

物価や円高の影響もあって、日本人旅行者は少ないと聞いた。たしかに、数年前に来た時より日本語を聞かなかったようにおもう。カナダもきっと、昔はもっと日本人がいたんだろうなあという感じで、ぜんたいにいろんなものが余っている感じがした。多くの人はもう少し近場やリゾート地に行くのかな。

数年前よりも地下鉄車内の表記がわかりやすくなっていたのにはおどろいた。次の駅がどこか、車内表示されていることなんてなかったように思う。

美術館のチケットの手に入れ方も東京と同様に電子化が進み、地図やなんかもぜんぶQRコードになったようにおもう。今回は海外用Wi-Fiを持ち歩いていたからそういうものが目に入っただけかもしれない。

Wi-Fiを持ち歩くと、旅のやり方がずいぶん変わる。まえは、目的地を決めに決め、営業時間や利用方法、乗換も調べあげたうえで、街に出たものだった。時間通りに動くことが重要で、計画時点で、二、三通り考えておいたりもした。紙の地図を持ち、ずっと地図を見て歩くような旅行者然とした振る舞いは避けるように、行動した記憶もつよくある。Wi-Fiがあると、前もっての計画は漠然としたものでよくなり、都度都度調べて、Googleマップにしたがい移動する。遅延や休業はその場で知れるし、お店のメニューやそのほか情報もその場で、日本語で、得られる。チップなどの慣習などもその場で調べて確認した。前に来たときは、頭に叩き込んでいたのだけれどなあ。じぶんが退化しているようにもかんじますね。あとは人とのやりとりだけだが、もし完全に頼り切るならGoogle翻訳がすごい。専用のポケット翻訳機までは要らない気がするが、それもどこまで頼りたいかという程度問題だ。いちいち取り出して翻訳させるならそれもいい。わたしたちは会話に際してスマホを取り出すのさえ面倒だったので、適当に会話して、やり過ごした。ぜんぜんわからないときもおおいにあったが、旅なんてそんなもんだろう。

そういえば、出国や入国も電子化が進んでいました。スタンプを押されないこともしばしばで、物足りない気持ちになった。そういえば、パスポートの更新も戸籍の内容に異動がなければマイナンバーをつかえ(詳細は各人調べていただきたい)、家で手続き、写真はスマホ撮影、お金はクレカ支払い。パスポートセンターの行列を横目に、カウンターに直接話しかけにいくと、しばしののち、すぐに受け取れた。その間、行列は数名分しか進まなかった。カウンターの方にも、電子化されたすべてのサービスを使えていますねと言われた。あの謎に高額な印紙を買う作業がクレカでできるとは感無量だ。とはいえ、それはわたしがいま、こまかに書かれた日本語を読むことができ、スマホを容易に操れ、諸条件が合致(たとえば婚姻により戸籍が異動していると電子化は使えない)したために享受できたものでもある。行列のうち、戸籍変更のようなささやかなことで本来ならこの恩恵を受けられたのに並ばされている人がいるのか。あるいは、電子化に追いつけず、並ぶより他ないと思い並んでいる人がいるのか。検証してほしい。そして、いつか真にインクルーシブな行政となるようにというようなことをかんがえた。

 


飛行機遅延の際、団体旅行のご一行の方と隣になり、少しお話させてもらった。70歳あたりの方達だったが、行けるうちはいろんなものを見たいんだと、再来月も年末も海外旅行の予定があるとおっしゃっていた。75歳を超えたら海外旅行を卒業して、国内旅行に切り替えるそうだ。そういう生き方もあるのかと、あまり旅行に行くことのなかった自分の母親のことをおもった。

 


以下は@日本。

 


パン作り体験をした。こねた。たくさんこねた。先生の指示に従いっきりで、てんやわんやしてただけなのだけれど、かわいらしい我がパンができたとうれしかった。もぐもぐ、美味しい。でも、家でつくるのはたいへんかも……。

 


エルマーのぼうけん展に行ってきた。福音館書店生まれ、岩波文庫育ち、悪そうな奴は大体友だちなわたしとしては、エルマーとりゅうは生きている根っこにあって忘れてるけど忘れてない、そんな存在だ。そういうものはたくさんあるけれど、多くの人にとってもそうなのだろう。展覧会の熱気はすさまじかった。ワニの背中をあるいたり、雷雨の中を飛んでみたり、洞窟の中のりゅうたちに会ったり。素敵な仕掛けのたくさんある展覧会だった。そしてグッズ売り場はアイドルの物販さながら、札束の飛び交う戦場と化していた。初日で在庫のなくなったものもあるほどで(入荷されたとおもう)、初日に行っておいてよかった。物語をあしらった特別メニューのあるレストランも長蛇の列。わたしたちはタイミングをずらしはやめの昼食としたので並ばずに済んだが、いやあ……、すごかった。

ちなみに著者の自伝もあるので、興味のある方はぜひ読まれたい。無欲に紡がれた物語が、家族による手作業で形となり、世界中で読まれる物語となった。その後は主婦をして、今100歳を迎えたという、その無欲さにある種の数奇さを覚える物語である。

ところで、初めて立川に訪れたのですが、なにもかもスケールの大きなまちでした。あそこで育つというのは、どういう感じなんだろうかとか、そんなことをかんがえました。