Nu blog

いつも考えていること

日記

年末ですね。こんにちは。

なんだかずっと体調が悪かった気がします。なんだろう、いかれてんのかな。

なにもかんがえられないので、ぼーっとしていて、12月が、2023年が終わります。良い一年だったのになあ、という変な気持ちです。

ニジプロのシーズン2を観ました。トモヤがとても良かったです。いや、みんなかわいいので、たまらなかったです。

M-1は令和ロマンが優勝しました。はじめて予想が当たった気がする。

これまでトップバッターは不利だから、割と淡々と自分たちのネタをする流れだったけれど、令和ロマンはあえてお客さんに話しかけるスタイルでやったのがすごかった。

しゃがみこんで、「今日はこのことについてみんなで考えようぜ」と呼びかけた時に、あー、二本目が見たい!と強く思いました。

一方、さや香は変なネタだった。一本目も大騒ぎしてるだけで、令和ロマンより高い点数か?とおもったら松本人志だけは89点をつけていておどろきました。冷静すぎる。あるいは令和ロマンに92点くらいつけてもよかったのかもですが。

モグライダーにも期待してましたが、うまくいかなかったというか、うまくいきすぎたというか、難しいですね。

準優勝のヤーレンズの二本目のメンジャミンバトンのネタはどこかで昔見たことがあるやつで、一本目より強くなかったなあと思います。とはいえ、一本目の大家さんのネタはよかった。南海キャンディーズアンタッチャブルパンクブーブーのような自在のボケに的確なツッコミを入れてゆくスタイルと思ったのですが、ボケにもツッコミにもさわがしさやしつこさがない点に好感を持ちました。

カベポスターはちょっとネタが暗かったなーと残念に思いました。三回戦で見せたあだ名のネタの方がわかりやすいし、明るかったような。

くらげはこれまでとずいぶん印象が違っていて、とてもおもしろかった。その場の笑いとしてつながらなかったのはかわいそう。あれはいじりようのあるネタで、名人芸みたいになってほしいです。

みんな、来年はどのような漫才を見せてくれるのかなあと、さっそくわくわくしています。

ところで、マジカルラブリー、錦鯉、ウエストランド、令和ロマンとここ数年関西弁話者ではないコンビの優勝が続いているのではないか、と。

「漫才の母語は関西弁」とはナイツの塙の至言であるが、ことM-1にかぎってはもはや、その存在が全国区となり、母語がいわゆる「標準語」へ移行したのではないかとおもわないでしょうか。

もはや、さや香のような関西弁はいま「キツイ」のではないか。というか、わたしはキツいとかんじた。もっというなら、こわいとかんじたのですが、どうでしょうか。

昨年のウエストランドが、関西弁でなくても暴力的なことばの使い方はできる、ということを示したのではないかなとおもうわけです。

関西弁に備わっている暴力性が漫才のかけ合いとして、コミカルになるところに漫才のエッセンスがあるのではないかとおもうのに、関西弁の暴力性だけがとびでてしまい、反対に関西弁でなくとも暴力的なことばの使い方ができてしまうことが発見されたのだから、漫才はもう関西弁でなくてよいわけです。

そして「ええやん、ええやん、お笑いやん、おもろかったらなんでもええやん、やんやんやーん」という、優勝フレーズとも言えるあのネタに行き着いたのが2023年現在なのでしょう。もはや関西弁はそのような形で揶揄される言語なのではないか? 

カベポスターのような、しずかな狂気を宿した関西弁が、関西弁の生きる道かもしれません。

関西弁話者としては、このことをとても愉快におもっています。これからの漫才がほんとうにたのしみです。

北野武監督「首」を見ました。武士道とか忠義とか仁義への疑いをまっすぐ表明している一方で、性愛というのか、身体的な結びつきが生む関係性の重みみたいなものを重視して描いたところが見どころでした。戦乱の世も現代も人は変わらず、自らのことしか考えていない、という見方を徹底していて、そんな人間すべてを笑ってしまう業を感じる。スクリーンを見て笑ってしまうわたしたちは、まったく変わらない、そして笑えない世界にいるのだとおもうと、げんなりする。それにしても人々の死体を写しつつ、軍馬が草を食んでいるシーンなどには感嘆。ラストまで大暴れの秀吉=北野武に、かつての厭世感を感じなかったのはなぜだろう。信長にそれをすべて担わせたからかな。そういえば冒頭、死体から沢蟹が這い出てくるところは、会田綱雄の伝説という詩を想起しました。とてもクールなショットだったです。