Nu blog

いつも考えていること

M-1グランプリのこと

今年もM-1グランプリがあって、終わってしまった。なんだかんだ面白い漫才が見られるこの番組、この賞レースを異様に楽しんでる私がいる。

惜しむらくは三時間半という長い時間が審査員のコメントに費やされたこと。審査員のコメントは、ネタの四分より長かったように思う。

結果、場がとても重くなった。こちらとしても「これで笑うなんて笑いわかってへんやっちゃ」などと思われたくなくて、審査員ヅラして見てしまう。優勝した霜降り明星にしたって、前半で出てたらどうなってたことやら分からない。

コメントは二、三人に抑え、どんどん進めるのが良いのではないか。どうせならネタの時間を伸ばしてほしい。

要望という点では、そろそろ十五年ルールを撤廃してもよいのではないか。

流石に芸歴十年以上あれば、漫才師としてのスタイルがある。スタイルがあるので、題材を変えたとしても展開が読めることになる。

たとえば和牛の二本目で、母親が倒れた時、電話をかけた水田が本当に救急車を呼んでいたと思えただろうか。どうしても先が読めてしまう。無論先が読める安心の笑いもある。先のボケも私はよく笑えた。しかしこと賞レース、新人賞の意味合いを持つM-1においては新鮮味のなさはマイナスに働くのだ。

十年以上お笑いをしてきたということは、偉大なるマンネリへの参加資格を得たということでもある。

そこから先でスタイルを変えることは、あまりよいことではない。こちら側もいつもの漫才を待っているのだから。

いきなり引き下げるのがよくなければ、一年ずつで構わないから引き下げてほしい。

 


そんなわけで、相変わらずジャルジャルが真面目に負ける展開で、かわいそうだったのですが、あれはキングオブコントなら優勝できるんでしょうから、チャレンジの場を間違えている気がする。

ゆにばーすの川瀬名人が、敗退した際に「もうあかんやろ!」みたいにキレてたのが熱かった。

ゆにばーすは、男女コンビであることを離れ、もっと自由に漫才したらいいと思う。昨年のネタのように。

自虐ネタの良し悪しなども語られたが、そもそも笑いには「共感」が求められている。「わしアホでんねん」「ほんまにアホやな」というように、その状況に同意が得られなければ笑いは起きない。

そういう意味で、敗者復活戦で見た「たくろう」が大変に面白かった。チェックすることをオススメします。

 


アマゾンプライム会員だし、せっかくなので過去のM-1を見返してみたら、二本目のクオリティが、現在より異様に高い。

どうも最近は一本目に比重をおいて、二本目のクオリティが悪い。嫌いなわけではないのだがあえて出させてもらうと、ジャルジャルの二本目などはずいぶん前からのネタで新鮮味に欠けた。少なくとも優勝するネタではなかった。

昨年ピンポンパンゲームをせず、今年の二本目でピンポンパンゲームが初お披露目だったら…、なんて妄想をしてしまう。文句なしのダントツ優勝だったろうに。

十年以上選手になると、仕事が忙しくて、一年で二本強いネタを作るだけの時間がないのではないか。

そういう意味でも十年以下に、売れてない芸人の下克上チャンスにしてほしい。

朝ドラのヒロインは、見知らぬ女優がいい、みたいな感じ。

 


アメリカにおけるヒップホップと日本におけるお笑いはパラレルに語ることができるという。

こうやって私がごちゃごちゃ書くのも、アメリカならヒップホップについて書いているパンピーみたいなもんなのだろう。

とにかく、来年のルール改正を期待してる。そして新しい笑いを待ち望みながら、一般視聴者は年末年始のネタ番組をダラダラ観るのだ。

 

そういえばスーパーマラドーナの田中のテッテレーは、怖いほど面白かった。