Nu blog

いつも考えていること

日記

選挙演説中、白昼、衆人環視、いや警備さえある中で、政治家が、元総理が撃たれ亡くなったことは、その政治家を支持していなかったものの、というかまあ、はっきり言ってその政治家のことをずっと苦々しくさえ思っていたものの、ショックな出来事だった。

 

三〇余年の人生で、社会が変わったなと思う出来事はいくつかあって、地下鉄サリン事件阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件、和歌山カレー事件、秋葉原通り魔事件、JR福知山線脱線事故、東日本大地震電通過労死事件、京アニ放火殺人事件、相模原障害者施設殺傷事件、そして近年頻発する自然災害と未だ渦中にある疫病、といった出来事がぱっと思いつく(書かなかった事件をなかったものとしたいわけではないので、浅薄な知識をご容赦願う)。

これらの事件や出来事を受けて、電車内の不審物に対する呼びかけや、通り魔というものがあること、働き方が人の生き死にに関わることなど、個人の意識にも、社会の対応としても、それぞれに具体的に変わったことがある。

今回の事件もそのように何らかの具体的な変化を生むものだと思う。

それは政治家に限定された変化ではなくて、広く何らかの意見を表明する際に、なんらかの警戒を取らなくてはならない、というような状態が生まれるだろうと思う。

たとえばデモなど身近に行われるさまざまな場面で、これまで考えなかった対策を考えなくてはならないようなことである。

 

そうした反応を生むことが、今回の事件を起こした人間の企図することかはさておき、である。

 

このことはとても大切なことなので、もう一度書いておきたい。

事件を起こした人間の企図したこと、犯行に及んだ直接、間接の動機、それまでの人生で経験したこと、どのような背景があったとしても、それらはすべて関係ない。

自作した(らしい)銃器を用いて、白昼、演説する人間を撃ち殺した、という事件であって、社会に大きな警戒を呼び起こした、ということが重要なことだ。

 

つまり、今回の事件は、動機によらずテロだと言いたい。テロとは、恐怖の拡散であるから、そう思う。

だから、私は外国の出来事であるが、グローバルな事件として日本にいる人間にも強く危機感を抱かせた、アメリ同時多発テロ、パリ同時多発テロのことを考える。

それらの事件は(特にパリ同時多発テロは)「ソフトターゲット」と言われる、劇場やライブハウス、あるいは飲食店といった危機管理の手薄な場所で、日常生活を送る大衆をターゲットとしたものだった。

政治家だけを狙うのではない恐怖、「社会の構成員全員がターゲットとされることがある」恐怖は、今もって解消されない恐怖として、このグローバル社会の心臓に巣くっている。

今回の事件もまた、そのような恐怖を植えつけたものであり、その意味でたとえこれから裁判でさまざまなことが明らかになろうと、事件は簡単には終わらない、と暗澹たる気持ちになる。

怖がらずに民主主義をやっていくんだ、なに警戒することなく演説すればよい、というむきの意見もあるだろうし、その意見に与したい思いは山々だが……。

無闇な警察権力の拡大や、人々の間での自粛、嗜め、萎縮といった雰囲気が蔓延してしまわないように、と願うものの……。

だが、しかし、あのような暴挙があり得るとされた社会で、どこまでが正しい恐れなのか、私にはわからない。

 

一方で、こんなことも思う。

選挙前の事件ということもあり、どのような不満であれ、言論には言論をもって、というような紋切り型の言葉が繰り返された。

諸手を挙げて賛成であると同時に、しかしどのような理由であれ、言葉を信頼できず暴力を産んだのは、この今の我々が生きている、この社会そのものではないのでしょうか、と思う。

民主主義をやろう、と言う言葉の前提には、すでに民主主義を達成した我々は、達成し続けなければならないという無邪気さがないか?

我々は、民主主義を達成していない。まだ道半ばで、今回事件を起こした人間のような「犠牲者」を生んでしまった。とは考えられないか?

空疎な言葉が社会を覆い、嘘や嘲笑、冷笑、その場しのぎが横行した社会。そうした民主主義の後退した場所に、現在の私たちはいないか?

ノー、と言うなら、それもまた一つの見解だろう。そうした見解の人には、これから「こそ」、言論を重視する社会を達成し続けるために、ともに手を携えて歩みたいと思う。

 

恐怖を抱くこと、暴力を生んだ土壌のこと、どちらのことも、対話を続けようという当たり前で、最も難しい問題に繋がるように思う。

それは凶弾に倒れた政治家が存命の間、ずっと求められてきたことでもあったが、死によって機会が奪われたこと、これ以上に虚しいこともない。

 

※動機の報道に関する補記

動機について、宗教団体との関係が取り沙汰されている。すでに、宗教団体名も特定されて報じられている。そのこと自体はもう止められない。

しかし、犯人が主張する動機を垂れ流すことが良いとは思えない。

動機がなんであったかをいち早く報じることは、公益性のあることだから、メディアが躍起になるのはわかるし、私たちも知りたい。

しかし、最終的には、裁判で明らかにされるべき事柄でもある。

危惧するのは、中途半端な内容が報道された結果、その宗教団体に所属する人すべてを危険に晒すのではないか、ということだ。

もし、その宗教団体がなんらかの悪事を働いていたとしても、たとえば末端の、悪事に関与していない人に人々の憎悪が向けられるかもしれないことを考える。

たとえば、その宗教の信者への八つ当たり的、ヘイト的な暴力が起きないか。

憎悪が私刑へ変化しないことを、たとえその宗教団体がよろしくない行為を働いていたとしても、それは今回の事件とは全く別のこととして裁かれるべきことであるから、私は願う。

だから、宗教団体を一方的に擁護することも避けたいし、具体的に現れている危険性も周知さらるべきだが、かといって、先に述べたような慎重論を唱えたことがすなわち「宗教団体関係者なのか」といったような、飛躍した怒りにつながっている様子には呆れる。

そして宗教団体と政治家の繋がりについては以前から取り沙汰されていたことであり、今テロリストの主張を利用して政治と宗教を論じることにもいささか疑問を抱く。それってテロリストに同調していないか?

もちろん、今後とも政治における政策決定過程や行政に歪みがないかは議論されていくべきことだが、事件を受けて陰謀論的なものがささやかれていくのは恐ろしいと思う。

 

閑話休題。本題など、何もないが。

タムラサトシ「ワニがまわる」展@国立新美術館

10年前、東京に来てすぐの頃、六本木アートナイトでワニが回っていたのを覚えている。

「東京は、ワニが回るのか……」「大都会に来てしまった……」という感想から早10年の時が経った。

この10年、回っているワニを見ることなく、あれはたぶんイタリア人の作品だったかな、とか意味不明なことを思っていたところ、まさかの展覧会である。なんと1000ものワニが回っていた。意味がわからない。

作者も意味はわからないと言う。

でもワニが回っている。いいじゃないかと思う。

ラコステを着て見に来た人らは「あえて」だったのか、聞いてみたかったけれど。

 

ラグビー日本代表。フランスとの2連戦。

初戦、前半十二分のできだったものの、後半じわじわとフィジカルで負け始めて、歯が立たなかった。

2戦目は、勝てた。勝てた試合を落とした。そんな表現ができることを嬉しく思いつつも、残念でならない。勝ちきって欲しかった…。

 

朝ドラが酷い。酷すぎるから見てしまう、という謎のルーティン化。

幼馴染の和彦の、Twitter上でのあだ名がカス彦、クズヒコ、クズピコと活用形がどんどん生まれている。むべなるかな、六年くらい付き合った女性と、結婚話が出ていると言うのに、何となく乗り気でなくて、マリッジブルーかと思いきや、周囲に対して「問題がないのが問題」などと意味不明な供述。致し方なく恋人が結婚話を進めているとやはり乗り気でない不機嫌な態度で、これは現代でいうところのモラルハラスメントでは?みたいな感じ。そんでヒロインの暢子が好きですよっつって、それを恋人に言うでもなく、ウジウジした態度を取り続けた結果、察した恋人が振ってあげるのである。うひゃあ。そんで、振られたことを幸いとばかりに当日の夜、ヒロインに対して「結婚無くなったんで、君が好きやぁ」とほざきだしたから、理解不能。気でも狂ってるのか?

主人公たる暢子も訳がわからない行動しかしない。和彦の恋人に対して「あんたの彼氏のこと好きやぁ」と宣戦布告のようなこともしだすのに、自分を好いてくれてる智相手にははぐらかしの態度しか取らず、かなりはっきりと好意を伝えられても断ったり嫌がったりしない。それが何かパワハラ的な理由で、そのような態度を取らざるを得ないのならまだしも、そういうわけではない。かといって、弄ぼうとしているわけでもないのはまあ、マシなのか?

あのレストランの人手不足も謎だし、末っ子の歌子は結構良い年齢になってきたのに、縁談の一つもない。あの家族の借金事情も不明。ちょっとはこっちの疑問に応えてくれよ!と言いたい。

 

今期はさまざまなドラマが見もので、忙しい。

今年も来たぞ、坂元作品『初恋の悪魔』。

オリジナルを観てないまま日本版リメイクを観る『六本木クラス』。

コメディエンヌ・杏の本領発揮『競争の番人』。

安心感抜群の波瑠を見たい『魔法のリノベ』。

SPA!読者なら忘れられない原作を渡辺大知主演でやってくれる『ロマンス暴風域』。

嫌な予感しかない、遊川作品に橋本愛(混ぜるな危険!)の『家庭教師のトラコ』。

いつ見ても「この人初めて観るけど演技上手いなあ」と思わされる吉川愛がやっぱりいい感じな『純愛ディソナンス』(吉川愛が出ているドラマをすでに三つほど見ていることにいつもビックリする)。

待ってました有村架純にどことなく美食探偵から抜け出せていない中村倫也の『石子と羽男』。

うーん、全部は見れないかも……。全部面白かったら、困るっ。

 

映画『ボイリング・ポイント 沸騰』を観る。不思議なことに、ずっと怒鳴りあっているのが心地よい。最後、あんなことになるなんて、と驚愕。何にも解決しないところが、現実をシビアに見つめた結果なのだろう。もう一回見て、さらに観て、それでようやく堪能し切れるのではないだろうか、という良作。

あー、あとまさかのリメイク@おフランス、『キャメラを止めるな』、見に行かないと。

 

芥川賞。『あくてぇ』は手に入らず未読であることが悔やまれるものの他四作を読んだところ、これはもう高瀬隼子と年森瑛だな、と予想。もちろん、鈴木涼美の小説もよかった。というか、鈴木涼美の書くものはすべて好きなのだが、芥川賞かどうかは心許ない。

さて、20日、高瀬隼子の受賞の報。選評が楽しみです。

 

というような二週間でした。おつかれさまでした。