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いつも考えていること

「性差の日本史」展感想

「性差(ジェンダー)の日本史」展を観に、佐倉の歴史民俗博物館へ行った。 「1968年」展以来だから、3年ぶりである。相変わらず佐倉駅前は閑散としており、道中は牧歌的だった。歴博の佇まいにも変わりなく、3年ぶりではなく、数週間ぶりに訪れたような気分になった。

展示は、男女による区別がどのように分けられてきたのかを慎重に検討するもので、古代社会における首長や民俗ではどうだったか、中世の政治ではどうだったか、家や宗教ではどうだったか、近世における仕事と暮らし、政治ではどう扱われてきたか、そして性の売買春という観点で女性がどのように扱われていたか、最後に近代の労働環境においてはどうだったか、という「歴史」を取り扱う流れとなっていた。

周到に「フェミニズム」を避け(というか、その時代まで到達せず)、歴史における推移を慎重に追っていく内容となっていた。すくなくとも「善悪」を判定するものではなく、ファクトとそれに付随する原因と結果を一つ一つ押さえていくものだった。

なので、「古代から男女は別の仕事をしていたのだ!」というトンデモナイ内容もないけれど、「古代では男女平等に首長は半々で、仕事に分け隔てもなかったのだ!」というラディカルな内容もない。「古代において男女はある程度同一に取り扱われつつも(たとえばいわゆる「飲み会」も男女混交であったし、財産権などに制限があったようには見受けられない)、女性首長の数は多くなく、律令国家が成立するとともに男女の区別が明確になっていった」というような内容である。

中世では北条政子のように家(=政治)を取り仕切る女性も現れるし、それは北条政子だけでなく何人かそのような例がいたことがわかっているのだが、一方で仏教が広まるとともに、五障三従というような、女性蔑視の考え方が根付いていくこととなる。

近世においては、たとえば職人一覧みたいな冊子で女性が描かれることはなくなってしまう。もしいたとすればわざわざ「女職人」と呼んだりしたようで、しかたも「花容〜」というように、美しさをことさらに言われたしたらしい。今でも「女性アスリート」だの「女性政治家」だのわざわざ「女性」を頭につけたり、「きれいすぎる」だの「美しすぎる」だの形容するのと同じである。

大奥という政治空間が現れるとともに時代の転換点において女性が果たした役割もあるが、それははっきりいって政治の表舞台の話である。

そしてこの展示がもっともあっさり扱われていたものの、とても重要なように思われたのだが、明治憲法制定の際、時の法務大臣井上毅井上馨ではない)が天皇制に関する一文「皇位皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」 を書いたのであるが、これは草案では「皇位皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇子孫之ヲ継承ス」とされていたらしい。何が違うか。「男」の一文字の有無である。つまり、草案においては女性天皇もあり得るものとされていたのだが、井上毅の主張により「男」に限られたのである。

性の売買春に関する展示はかなりヘヴィなもので、その非道さはえげつない。政府がその商売のあり方を認めてしまっているのだからどうしようもない。ある父親が娘を売る過程が書類として残されていたのだが、その途中には「私が望んでこの商売を始めます」という書類があって、最終的に警察が「営業を許可する」という、行政事務が執り行われていく。父親が女衒に娘の「すべての」身元保証人となることを認め、その娘が自分で望んで風俗業を営み、警察が許可する。すべて合法的な流れである。

近代の労働環境もなかなかなもので、女性は一定以上出世できないし、工場が一括してエンゼルバンド=月経帯を購入し女工たちに使用させる。これを福利厚生と見るか、女性の身体の管理と見るか。すくなくとも月経帯の売り文句は「工場の生産性を向上させる」だったことを押さえておきたい。

最後に村木厚子さんが「制度によって規定されてきた精査ならば、制度によって修正できるはずだ」と語る映像が流されていた。わたしにはとても楽天的な発想のように思えたのだが…。