Nu blog

いつも考えていること

日記

井戸川射子『遠景』。あ、これは言葉がたくさん、溢れているぞ、すごいやつだ。

フジロック配信。

Vampire Weekend。

音響トラブルもなんのその、ベスト盤って感じのセトリに大興奮。素晴らしいリズムがノらせてくれる。最高でした。

折坂悠太。

昨年、政府への怒りを綴って参加を辞退し、空っぽのステージこそがメッセージとしたことが話題になった。そのメッセージは真摯なもので、物事が決まったとしてももう少し考えたいという、オルタナティブな人としてのあり方の一つを示していたと思う。

今年、参加の決まった頃は、感染状況の谷間で、ここ数週間の阿鼻叫喚な感染者数とは状況を異にしていたから、再びの辞退もあるやに思った。

では、今年の参加はどのような意味合いがあったのか。

折坂悠太は舞台の上でそのことに触れ、「わからない」とはっきり口にした。

その答えに私は、前日に政治家がある宗教団体との付き合いを「何が悪いのかわからない」と答えたことを思い出した。その政治家の発言は、とても無責任で、あえて思考停止することで、その場をしのごうとしたものと思えた。

であれば、折坂悠太の発言もまたそうなのか。人によっては、そうだと言うだろう。去年はドタキャン、今年は参加。なんの一貫性もなく、説明もできないとは、と。言葉を極めれば、結局は雰囲気で辞退、参加を決めたんか、と。

しかし。いや。うん。そう思う気持ちが自分の中にもある。最近の「まあ広がっちゃってるんで、広がるしかないよね」という空気は、当初の恐れを振り切ったチキンレースのようで、ワクチンも治療薬も後遺症も、なんだかどうでも良くなっている。イベントはやったらいいし、飲みに行ったらいいし、と。昨年一昨年の騒ぎは、医療従事者に感謝とか言ってたのは、なんだったんだ、と。そして、今は世間的にいい感じやから、イベント解禁、参加するのか、と。

と思う気持ちもありつつ、いや、でも、ね、と。「わからない」けど「試行錯誤していく」という言葉もまた一つの真理ではないでしょうか、と思う気持ち。ミュージシャンなんだもん、ステージに立って歌うことで伝えることがあるでしょう。しかも、主催者側からも参加を求められた。ひいては折坂悠太のパフォーマンスを見たい人がたくさんいる。私もその一人だ。だから、やる。それでいいじゃないか。歌を歌う人間が歌を歌ったらあきませんか。

そんな考え渦巻きながら、熱のこもったパフォーマンスが進む。特にパーカッションの上半身裸の人のやる気はすごかった。タンブリンがよく鳴ってた。うおおっ。こちらは画面越しに、ただただ歌声と演奏を楽しむことにした。うおおっ。音楽だっ!と思った。鳴らせ鳴らせっ!叫べ叫べっ!踊れ踊れっ!考えながら、やることもあるわい。考えを止めることはないわあっ!

コーネリアス

「聞こえますか?」という呼びかけから始まった。そこにさまざまな意味を見出すことができそうだが、あまり深読みしすぎないことが肝要か。映像とのシンクロがみものだったので、引きのカメラで映してほしかったなあ。ギター少年の壮年期、ここにあり。

PUNPEE

感傷的なMCが柄にもなく、だから心に響く。クラシックへのリスペクトを示したロンリーガール、人間発電所サマージャムという流れ。歴史を背負って歩むことを表明した、と大袈裟に言うまでもないか。覚悟というより、愛を感じた。

映画『キャメラを止めるな』。まさかのフランスリメイク。原作のままに進められつつ、随所に散りばめられた違和感と解答編での納得感。おフランスではどのように受けたのだろうか。