Nu blog

いつも考えていること

小熊英二『1968』

年末年始で読みました、2009年発刊の本書。上下巻あわせて2000ページ。

学部生だった時の話題の書で、ゼミの先生の本棚に鎮座していたのを思い出す。

前年若松監督の『実録・連合赤軍』を観ていた私は、教授との話のネタにした。詳しいねえとか言われながらも、自分はこの本を読まないんだろうなあとなぜか思ったのだった。

なぜそう思ったのかはよくわからない。分厚いからだろうか。でも当時ぼくは暇していて、ドストエフスキーとかガルシア・マルケスとかプルーストとか、そういう長いものを読むようにしていたから、なぜこの本を避けたのかよくわからない。

こう言っちゃうとロマン主義的すぎるが、まあ、今読むために当時読まなかったのだろうと思う。当時読んだとしてもたぶん表層的な理解にとどまっていたであろうことが、今の方がその時よりも実感を伴って読むことができたのではないか、と思う。

さて。本書のテーマは全共闘をはじめとする「あの時代」の若者たちの反乱を検証し、この現象はなんだったのかを検証するとともに、教訓を引き出すものである。

たくさんの出来事に対し、たくさんの言説(当時の機関紙が述べることや捜査機関の資料、報道資料、公判資料、そして数十年の時を経てからの当事者の回顧録や批評家や評論家らの考察など)を突き合わせ、事実に近いであろうことと、結局のところ何が原因だったのかを解きほぐす。だからこの分量であり、膨大な注が振られている。

あとがきによれば、この量でも当初草稿の6割であり、構成段階で心労により三週間体が動かなくなったらしい。すごいなあ。

当事者インタビューがなく、残された資料から重ね重ねたモザイクだと批判することも可能だろうが、たぶん自分が一番資料に接している、という小熊英二の自負が本書を支えているのだろう。

ここまでして、一体何が知れたのか。なんて質問は野暮である。ていうかそれを知りたいなら読みたまえ。ってことになります。

章立てされて内容がすっきりしているから、時間さえかければ読める。割と簡単に読める。これは間違いない感想だ。抒情的な内容がないから、理解に苦しむ表現などもない。こんなまとめてくれてるんだから、本書の長さこそが本書の内容の要約であるといってもいい。マジで。書評ブログじゃないので、要約はしない!(突然の怒り)

というわけで、気になったところや印象深かった点をいくつかあげて、備忘録としておきたい。

 

慶大闘争、早大闘争を経て、日大闘争へと至るにあたり、大学内の学生とセクトとの関係が空洞化した中に全共闘という動きが芽生えるも、東大闘争においてその流れは瓦解し、具体的な要求項目から「自己否定」や「大学解体」のような観念的闘争へと変質化していく。「あの時代」というと、私はやっぱり東大の安田講堂を真っ先にイメージしてしまうが、あの光景はこの時代の運動の流れの先っぽでしかない。

大学闘争は常にどこか空回りしながら、時代の空気を反映して動いていた。反対に言えば、学生たちの空気で動いていたに過ぎず、社会的な運動ではないから、労働問題や社会問題との結びつきは強くない。

その背景には第一に大学の大衆化、第二に高度成長による社会の激変、そして戦後民主主義教育とそれらが生み出したアイデンティティ・クライシス&現代的不幸からの脱却願望である。

現代においても少なくない人が、大学ってのが何をするところかというのがわからないままなのではないだろうか。

かつて一握りの秀才たちが真理を追究する場だったはずの大学で、大教室に押し込められ教科書を読み上げるだけの授業を受けさせられる。そればかりか座る席もなく立見、食堂も人で溢れ返り、教授ら先生の数も少なく、ソフト・ハード両面ともに全く整っていない状態。にもかかわらず、一方的に学費の値上げが宣告される。当時の大学生の失望は想像を絶するものであったに違いない。

現代においては、大学なんて就職までのモラトリアム期間でしかない、と割り切っている学生ばかりで、学費の高さも周知の事実として誰も問題視しない。下手に真面目に勉強して大学院に行ってしまったら高学歴ワープアになるから、要領よく四年間過ごしてどっかの企業に潜り込みましょう、というのが暗黙の了解になっている。大学を出たからには社会を引っ張るリーダーになるのだ、なんて大志をほとんどの人は抱いていない。

「あの時代」においては、大学に対して、真理を追究する学問の府たるもの、という思いを学生らが強く持っている。そうした保守的な側面が特に東大ではバカ強く、具体的な要求項目のない長期間の籠城へとつながる。

ここで興味深いのは教授ら、進歩的知識人の反応であって、進歩的知識人らは戦中派だったため、戦時中学問の自由が奪われていた記憶が強い。彼らにとって学問の自由とは教授会の自治を指し、決して学生らの自由ではなかった。教授らが自分のしたい研究を自由にできることこそが学問の自由であって、「あの時代」の学生らの言うことはちっとも理解できないばかりか、むしろ大学に立てこもって教授らを追い出し資料を散逸させた点において、戦時中よりもひどいバカだと憤慨した。学生らはその教授らの反応に対し、「お前らみたいな現行不一致の教授たちを一掃してやるのだ」と息巻くわけで、ここまで世代間断絶があると大変だ。

話し合えばそんなことすぐにわかるんでないの、みんな頭いいんでしょ? と思っちゃうのだけれど、そうでもない。なんせ大学生側に語彙がないのだ。あまりにも新しい悩みなため、それに見合った語彙がない。結局セクトらの作った意味不明なマルクス主義的言語でもって「帝国主義がどうたらこうたら」という説明をせざるを得なくなって、教授らに伝わらない。「こいつら何言ってんの?」って反応になっちゃう。勢い学生らは暴力に訴えることになる。言葉がないと手が出るというのは永久不滅の真理なので、とても悲しい。

さらに高度成長により都市化が進み、東京に男が溢れかえる。大学に進学するのも機動隊の隊員もみな非都市圏からの男の集中に過ぎない。そこで何が発生したかというと娯楽の不足。つまり「暇」である。暇は最大の罪である。新宿騒乱は学生運動でもなんでもなく、暇な男たちがわいわい騒いだだけだった。なんとあけすけな結論だろうか・・・。バリケードの中での対話が、孤独に陥っていた若者たちを癒した側面もあるという。現代の大学生の孤立問題にもつながる気がする。今も昔も大学生は油断すると暇で、孤立しがちなのである。

その上、戦後民主主義教育が唱えた「みんな平等」の意識の浸透がある。建前ではみんな平等と唱えつつ、受験競争に放り込まれる社会。大学生となった若者たちは加害者意識を持ち、それらが自己否定の論理へとつながっていく。

貧困・飢餓・戦争という近代的不幸から脱した後に待ち構えていた新たな戦争(競争)や孤独、そして圧倒的な暇が、語彙を有していた政治運動に結実していく(それらの原因を直接的に指し示す言葉は登場しないまま・・・)。疎外や自己批判といったマルクス主義の言葉が経済的にではなく実存主義的、いや文学的、いや情緒的に使われることでぎりぎりそれらの原因と接続されるにすぎない。

語彙もなければ情報もない。そんな社会に閉じ込められれば暴れたくもなるのかも知れない。特に情報のなさはすごい。よど号ハイジャック事件は本当はキューバに行きたかったが、遠いので北朝鮮行きに変更されたもので、じゃあ北朝鮮に行ってどうするのかという話には「俺らの心意気を見たら、必ずキューバまで送り出してくれるだろう」くらいの楽観的な予測しかない。さらには「毛沢東オルグする」計画を立てていたり、キテレツとしか言いようがない。パレスチナに渡った重信房子は周囲からいろいろ質問されて初めて「日本のこともアジアのことも全然知らない」とパレスチナに渡ってから気付かされる。赤軍派は国際主義を標榜していたのにも関わらず、である。日本人は日本のことを知らないと言われているが、その先駆けである。ちなみにキテレツなことを考えまくったのは、逮捕されて投獄中、暇だったからである。

とはいえ、警察、機動隊もひどいもんだなあとは思う。特に佐世保闘争で泥水に催涙液を混入した放水をしたり(皮膚炎でただれる)、学生だろうが市民だろうがボコボコにしてしょっ引いたり、なかなかの活躍である。それだけ学生らの無謀な突進に恐怖を感じていたとも言える。続く街頭闘争に対しても誰彼構わずそのあたりにいれば荷物を見せろと違法捜査をしたり、商店街に「暴動が発生しているから自衛してください」と嘘を流して大衆とデモ隊との距離を引き離したりしている。連合赤軍の事件なんて、死体を掘り出してから再度埋めて、報道陣を集めてから掘り出したような動きがあるらしく、まあ、そのおかげで日本の治安は向上したのだと誇っているのかも知れないが、なんともすごい。またそもそもリンチ殺人が起きているのを知ってあえて見過ごしていた形跡もあるという(72年の1月から2月に殺人が発生していることを示唆する発言を警察官がしていたという証言があるらしい。こればかりは何が本当かはわからない)。

連合赤軍事件について小熊英二は「追い詰められた非合法集団のリーダーが下部メンバーに疑惑をかけて処分していた」という「普遍的な現象」と喝破し、「「〈理想〉を目指す社会運動」が陥る隘路などという問題とは、無関係」とする。そして、事件の当事者である青砥幹夫が2003年に述べたという「連合赤軍事件の原因は何だったのかとか、無理に総括しようとしても、ろくな結論なんか出てきませんよ。何もでてこない」という言葉に賛成し、感傷的に過大な意味づけをして語ることを戒める。要は、本書で語りたい現代的不幸との関係性やなんやかんやとはある意味断絶した、関係のない出来事だったと位置付けているのであり、この事件を全共闘等「この時代」の動きの象徴にすることはできないのである。

こういう結論を出せたのも、森恒夫自死はあったものの多くの関係者の言説が残されているからこそである。翻ってオウム事件はいわば無言のまま死刑で持ってピリオドが打たれた。蓋を開ければ、追い詰められた組織のエスカレーションであることはほぼ間違いない。その過程の精緻な検証可能性が失われていることは、人々にとってオウムを恐怖の集団として記憶させるだけで、大変な損失ではないかと思う。

 

さてさて。では、「あの時代」の経験から我々はどのような教訓を得ようとするのか? 大学の大衆化はさらに進み、高卒と大卒が半々という特殊な高学歴社会が形成されつつある(院卒の少なさ、あるいは院卒の待遇が大卒とほぼ同じであることが他国の例にない特殊な部分である)。左翼運動はほとんどないに等しいが、一方で少しでも現状を良くしようと個別問題に取り組む人もたくさんいる(そうした人に「総合的な」見解を求めて論破したような気になっているSNS上の賢者たちもたくさんいる)。現代的不幸も現在の社会が抱える問題もなくなってはいない。むしろ「共有の敵・目標」のない世界でますますバラバラに個人化を進める社会で、自己責任論が一人一人の不満の言語化を阻んでいるようにも思う(これが小熊英二のいう「1970年パラダイム(マイノリティへの注目)」で限界(あるいは新自由主義の台頭)であり、マジョリティへの言葉を失い右傾化する若者(あるいは若者の受け皿としての右翼)の広がりを示している)。

少なくともTwitterでのハッシュタグ・デモ的な動きが言語の獲得の回答とは思えない。むしろ言語を貧しくしているようにぼくには感じられる。そもそも私たちは政治の言語が腐っていることに気づき始めている。かといって星野源的なポップカルチャーに新たな言語を期待するのにもぼくは違和感を持ったりする。しかし、そのどちらもが社会に潜む不満を象徴し、少なくない人を救っているようにも思う。

「あの時代」の若者はセクトのアジ演説などに丸め込まれ入党したり、自己批判したり、「主体性」を得ようとする割りに呑み込まれる場面が少なくない。であればこそ、他人の言葉にすぐ同意せず、一度立ち止まってできる限り調べ、調査・勉強した上で自分で考える。これが現代における振る舞いとしての、ぼくの回答だと思う。もちろんそれは「今この瞬間にも苦しんでいる人がいる」ことへの解決にはならない。それを批判されたとしても、一度立ち止まるのである。それが個人のできる最大の誠意である、とぼくは信じる。

 

(補遺①)

ぼくとしてはこの本を読みながら参考文献的に島耕作学生編、就活編と三田誠広の『僕って、何』あたりを思い出したりしていた。簡単な補助線として、その辺りを読んでいると本書の理解に役立つのではないかと思います。それに島耕作ノンポリ側からの目線というのはとても貴重なものだと思う。この時代の言説はどうも左翼側からのものが多くなりがちなので。これに限らず、島耕作の独特の体制目線ってのはすごく重要だと思うんですよ。仕事しかしていない感じとか、女性と知り合ったら大抵肉体関係になる感じとか、マジョリティには豊富な言語と体験があることをつくづく思い知らされる。

(補遺②)

この時代において共産党社会党がめちゃくちゃ嫌われている(日共とか日青と略される。要は改革に真剣じゃないから嫌われてる)のがおもしろい。近年共産党は弱者の味方みたいな感じで一部に人気が出ているけれども、どうなんでしょうね。ある意味、革命とか共産主義政権が現実的でなくなったからこその支持なんだと思うと不思議な感じがします。

(補遺③)

ベ平連やリブなど、自分の知識が多くないことから、ここで言及しなかったことも多々あるが、わざわざ章立てして語られるだけある意味を感じた部分でもある。折に触れて再読したいと思う。