Nu blog

いつも考えていること

日記

生活が落ち着いたので、不意に旅に出た。お目当ては2月2日に開館したばかりの大阪中之島美術館。開館まで30年を要した、超難産な美術館。いたるところに「財政難」への怨嗟が書き連れられているのが印象的。しかし、何千点もの作品と立派な箱ができたのだから、これからはたくさんの刺激的な展覧会を展開していくのだろう。今回は、これまでに蒐集してきた作品から、スターをピックアップした超豪華版。さすが開館記念。スター作品の数々が目白押し。少なくない作品はすでに、他所の美術館が行った展覧会で見たことがある。その時のクレジットは「大阪市立近代美術館準備室蔵」だった。そこが大変に感慨深い。ついでに、というと失礼だが、お隣の国立国際美術館にも訪問。何年ぶりだろう。懐かしさ。私の記憶ではフォートリエ展以来、7、8年ぶり。企画展、コレクション展ともに充実していた。中之島美術館が満員御礼だったのに比べて、ガラガラだった。まあ、美術館のハシゴってのは、あんまりしないもんねえ。その後、3年ほど前に復元されたという尼崎城へ。新築のかほりがするお城。城の前に芝生というかなんというか、ベンチみたいなのがあるのだが、小学校高学年くらいの子供ら四人組が、一時間以上そこにいて、この寒空の下、身を寄せ合って楽しそうにしていた。小学生って、寒くないもんね。自分も、小学六年生の二月、三月頃、卒業間近の時に近所の友達の家の前でゲームボーイしてた。友達の家に入るのを、なぜかみんな嫌がって、それで道端でゲームボーイしていたのだが、どう考えても寒い。なのに、ゆうに二時間くらいは、そうしていたものだから、我がことながら不思議だ。尼崎城てわは、なぞの剣豪ゲーム、鉄砲ゲームに興じたが、よくわからんかった。そして尼崎城すぐそばの、小学校の横の寂しい道を数分歩くと、尼崎市立歴史博物館がある。ここも新しくできた施設。小学校の社会科見学を念頭に置いた作りで、バッチリである。尼崎にはもう一つ見所があって、それは駅の反対側にある白髪一雄記念室なのだが、奇しくも火曜日。休館で入れず。残念。

夜は神戸サウナ&スパに宿泊。5000円ポッキリ。夜の入り口、外気浴スペースで焚き火をやっていた。裸の男たちが、体から湯気をあげながら焚き火を囲う。その光景から、四元康裕の『世界中年会議』という詩を思い出した。中年の人権向上のための会議が行われた、という設定の詩だ。その最終日、まとまりようのない抽象的な中年の不安をなんとか共同声明としてまとめ上げ、世界中の中年たちが火を囲み、アメックスに鋏を入れる。アメックスは「私が誰だか知っていますか」と三度繰り返して尋ねる。目の前で、体から湯気を立てる男たちと、その詩の光景が、ほとんど同一のもののように思えた。カプセルホテルはガラガラだった。翌朝もサウナに入った。

返す刀で京都へ。京都市京セラ美術館へ。立派な建物である。見事なコレクション展。ついでというとまたまた失礼だが、向かいにある京都国立近代美術館にも入る。岸田劉生展をやっていた。岸田劉生なら3年前だか東京ステーションギャラリーでやっていた展覧会の方が面白かった。まったく意外なことだが、「道路と土手と塀」が展示されていなかった。東京国立近代美術館の所蔵なのだから、同じ国立美術館のネットワークで借りられないのだろうか。よくわからない。コレクション展もさらりさらりと見る。帰りの新幹線に乗る前にルーマプラザへ。ロッキーサウナが強い。塩サウナもいい。そして白眉は京都を見渡せる露天。西荻のルーフトップサウナが後発であることを思い知らされる。

そして新しい家へ帰る。3月から、新しい環境での日々が始まるのを待つために。

 

末筆ながら付け加えておくと、戦争にはいつだって反対だ。理屈をこねて、やるべき理由を作り出すのはおかしなことだ。戦争をやめろ。