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いつも考えていること

アーティゾン美術館他

・アーティゾン美術館

ついにリニューアルオープンしたアーティゾン美術館、旧ブリヂストン美術館。2015年に一度閉館した際には、2020年など来ないんじゃないかと思っていたけれど、ちゃんと時は経つものだ。

久々に八重洲を歩くと、どかーんと出来上がっていた。正面が八重洲通り側から中央通りへと変わり、開けた印象を鮮烈にアピール。ホールは吹き抜けを多用し、自由度の高さと空間の広さを感じさせる。床の色やサインにも工夫が見られ、導線もばっちり。照明もよい。アートとホライゾンを掛け合わせたという館名以外は非の打ち所がない。その館名だっていつかは慣れるだろう。

開館記念はコレクション展。久々に見るモネ、マネ、ルノワールセザンヌピカソやブラック、ルソー、ルオーなどにテンションが上がる。カイユボット、デュビュッフェ、ひさしぶり!

たぶんこの五年間、別の展覧会で何度かお目にかかっている気もする。たとえばブランクーシのThe kissは森美術館のLOVE展で見た。

新しく収蔵されたボッチョーニ、ロスコ、カンディンスキージャコメッティも良い。マチューの10番街とかめっちゃかっこいい。

西洋のビッグネームばかりがアーティゾン美術館の売りではない。青木繁坂本繁二郎松本竣介岡鹿之助ら日本の画家の作品もたっぷり。上前智祐村上三郎堂本尚郎田中敦子らいわゆる前衛もしっかりある。

展示へのこだわりも強く、洛中洛外図屏風に使われたガラスのすごいこと。顔をぶつけた跡が浮き上がってホラーのようだが、それくらいガラスの存在を認識できない。

彫刻を一堂に会したり、水浴をモチーフにした作品を並べたり、気が利いてることこの上ない。

あのフロアをこれからどんな風に使っていくのか。楽しみでならない。

 

・白髪一雄展

オペラシティ でひっそりと開催されている白髪一雄展。白髪一雄の認知度がいまいちわからない。私は尼崎も1つの出身地なので知っているし、大好きだ。尼崎は近松門左衛門尼子騒兵衛ダウンタウンと白髪一雄を生んだ町である。

具体派であること、足で描いたこと。この2つが白髪を語る時言われることであり、大抵の美術館に一作品くらい収蔵されているものであるが、こうしてその作品を並べてみると壮観であるし、作品の差異が如実になり、タイトルがしっくりくるようになる。

キャプションほぼなしのストイックな展示も好ましい。

二階で開催されていた所蔵展「汝の隣人を愛せ」で紹介されていた寺田コレクションもよかった。日本のシュルレアリスム的作品が多く配置され、その飛躍した想像力に感じ入るものがあった。

 

ハマスホイとデンマーク絵画

昨年から期待していたハマスホイ展、ついにである。

と言ってもハマスホイを知ったのは昨年、国立西洋美術館を訪問した折、常設展で見かけた時である。不意に現れた「ピアノを弾くイーダのいる室内」にな、なんじゃこりゃ!と衝撃を受けた。まったく予備知識がなかったので、ただただその題材の静けさ、筆致や色彩の落ち着き、室内の空気をすくい取ったような雰囲気に圧倒されるばかりだった。

ハマスホイのパレットには白と灰色しかなかったという逸話もあるらしい。その逸話を信じたくなるほど、色調は抑えられている。色数が少ない分、黒と白の間の世界の深さを思い知らされる。

19世紀前半のデンマークは絵画黄金期だったそうだ。展示ではクプゲという人の作品がすごかった。

スケーイン派というデンマークの漁師町を題材とする一派も現れ、ビュルクの「スケーインの海に漕ぎ出すボート」は青木繁の海の幸を思い出させた。アンガの類似する作品の方が人気が高いようだが、ぼくはビュルクの方が良いと思った。クロイアの青い作品もよかった。

そして室内画、ハマスホイへと続く。見所多し。家に飾ってなんの違和感もなさそうな、それでいて見る者の深くにもぐりこむような。素晴らしい…。

 

東京国立博物館「出雲と大和」

七支刀や四天王立像、銅鐸など、国宝や重文満載の展示。丁寧な解説でわかりやすかった。子鹿や子熊の埴輪が可愛かった。

 

・堂本印象美術館

空いていると話題の京都へ。にもかかわらず普段混んでる名所ではなく、堂本印象美術館という普段から空いているだろうところへ行くなどしてしまった。業が深い。

智積院の「婦女喫茶図屏風」なるウルトラモダンな襖絵を見て以来関心を抱いていた堂本印象。日本画の巨匠であるが、その作風は異色。横山大観的富士山などはその主題ではなく、現代人やその生活、そして抽象表現などがフィールドである。

しかしそうしたモダンな作風は60代以降、滞欧してからというから驚いた。27歳の初期作から50代までは日本画らしい作品で、童や兎、農村などを題材とし、繊細な筆使いは見事なもの。

しかし60歳からその作風はガラリと変わる。「八時間」と題された作品では、女性二人が電話を取り、タイプライターを打っている。表現はキュビズムを採用。事務所の扉が少し開いていて、向こう側が真っ暗なのは暗示的なものを感じさせる。

滞欧時にはパリやローマ、バルセロナの街並みをイキイキとスケッチ。このスケッチの自由さ、楽しさも良い。ここでピカソカンディンスキーに触れ、抽象表現を深化させていった。

襖絵にも抽象表現を取り入れ企画展の目玉「風神」「雷神」について堂本印象自身「そのうちなじむと思う」とコメントを残している(これはとぼけたコメントではなく、むしろ自信の表れであろう)。

智積院の襖絵の段階で「たぶん、ヤバいおっさんだ」とは薄々勘付いていたが、その確証を得られました(最上に褒めています、念のため)。

この美術館、堂本印象自身が装飾を施した建物だという。椅子や展示室番号など、細部に可愛さが宿っていた。「サロン」の字は必見。

 

・福田美術館

アイフルの創業者によるコレクションを保有する、2019年開館の新しい美術館。帰省時にその存在を知って訪問。

日本画オンリーの硬派さは嵐山という土地とも相まって、外国人ウケが良さそう。であるならばもう少し導線をわかりやすくしたいところだ。あえて迷わそうとしているような見通しの悪さと案内の少なさは、あまり好ましくなく思われた。

キャプションが多いのはありがたいが、キャッチコピーをつけるのは、作品の力を信じてないようで良い印象を受けない。また中村貞以の「浄韻」を「Pure Rhyme」と訳していたのが気になった。

たまたま企画展として「美人画」を特集していたが、なかなか取り扱いの難しいテーマだと思う。また、開館記念のコレクション展で展示されていた与謝蕪村の猛虎飛瀑図や伊藤若冲などが当然展示されていないので、やや物足りなかったのはこちらのせい。

とはいえ、開館して4ヶ月。導線やカフェ、ミュージアムショップ、ロッカー、そうしたちょっとしたところに手が入ってないのには、すこし疑問も感じる。サウナ施設だから違うとはいえ、池袋かるまるはオープンして2ヶ月、常に改良し続けている。もう少し、さらに利用者目線でアップデートできそうに思った。

 

京都鉄道博物館

鉄道の知識が薄くてもなんとなく楽しい。扇形車庫はもちろん、昔の切符や吊革、椅子、空調など、ギミックへのこだわりもおもしろい。たくさんの人が知恵を絞り、経験を積み上げ作り上げた鉄道文化。

 

北野天満宮

梅を見に北野天満宮へ。宝物殿で「お牛さまに願いを!」なる謎展示が行われていたから吸い寄せられる。

竹内栖鳳の紅白梅図や刀、武具などが所狭しと置かれていて壮観。

特に狩野探幽の「南無天満大自在天神」の書が良かった。最後の「神」の字から梅が咲いているのだ。

調べてみると雪舟が元ネタのようで、その元ネタの箱には探幽の題識があるから、きっと間違いないだろう。

文字から梅を咲かす洒脱なセンス。脱帽。

 

・永遠のソール・ライター@Bunkamuraミュージアム

さりげない日常を撮り溜めたアメリカの写真家。3年前の回顧展以来、日本でちょっとしたブームとなっているらしい。3年前、覚えてない…。Bunkamuraの展覧会ってポスターがポップすぎてあんまり興味をひかないんですよね。絶妙なラインなんですけど、自分の琴線には触れないというか。

今回のソール・ライターは、シャープな写真がポスターで思わず見に行ってしまった。ナビ派のような写真というのが大変良かったです。あと、カラー写真の先駆者として、その色彩感覚は素晴らしいと思いました。絵画における色彩感覚はあんまりでしたが…。

たくさんの人が来場していて、何が彼らを惹きつけているのかとても気になった。

 

・津田青楓展@練馬美術館

図案のセンス、装丁の可愛らしさに惹かれて。

しかし、彼の壮年期はプロレタリア運動と密接に関わっていたのである。そういえば国立近代美術館の「犠牲者」や「ブルジョワ議会と民衆生活」はいつぞや見たことがある。ポップな人のようで、まったくポップではない。不穏な、底知れぬ何かを腹に持っている人である。

練馬区立美術館はその不穏さを「背く」と表現した。これはなかなか見事なコピーだ。二科展の中心人物であったことも、官展への背きであったし、津田青楓塾においては書くことより「見ること」を教えたと言うのもある種背きと言えるように思う。プロレタリア運動はさることながら、晩年の南画や私人としての生活などは社会そのものからの背きなわけだ。

なんとも食えない画家であり、それをよくまとめた展覧会だった。