学生の頃、なんとなく女の方が生きやすい、羨ましいと思ってた。生まれ変わるなら女だよね、なんてあっさり思っていた。
なぜなら。
なぜなら、テレビやなんかでは女の方がチヤホヤされてるし、若い女は楽しそうに遊んでるし、歳を取ったら主婦でもしておけば良いから。
それに比して男は…。
それに比して男は、テレビでは笑い者にされ(裸になったり、暴力的な行為を受けたり、バカにされたり…)、若い男というか自分はこんな鬱々とした日々を送っているし、歳を取っても働き続け、寿命も女より短めで死ぬ。
などと思ってた。
なぜ若い男こと自分が鬱々してるかといえばそれはモテないから。何を? 女を。女を持てないから、私は鬱々していたのである。
女に選ばれない私。裏返せば、選ぶ権利を持っているのは女であるという確信。それはきっとモテてたとしても同じロジックが展開される。つまり、女に選ばれる男。裏返せば、選ぶ権利は女にあり。
観測範囲がテレビと自分自身と親と平均寿命だけという狭さ。
ひろゆき氏がハフィントンポストの取材を受け、「どうして今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わない方がいいのですか」というタイトルの記事として公開された。
結果、炎上した。
記事を読んだ時には、感じたままのことを言っただけで積極的に殴りに言ったわけではないのにな、ちょっとかわいそうだなと思ってたのだが、その後なぜか女性専用車両とレディースデーは女性優遇だからフェミニストはすべからくその撤廃を訴えるべしとの主張を展開し始めた。
なんだかよくわからないので整理したい。
まず、取材においてひろゆき氏はどんな発言をしたのか。かっこ内は発言ママ。それ以外は要約。
性別やジェンダーについて強く意識したことがなかった。「逆にそこまで強く意識すること、ありました?」
母親が専業主婦でラクそうだった。母親は旅行など遊んでたが、父親は仕事ばかりだった。
「女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない」「男性はイケメンでも二十歳過ぎたら仕事ができないと行き詰まる」
「スマホに最初からインターネットがついてきたから、女性もそれを使って、ネットメディアを見るようになった」
「男女平等を実現したいのであれば、今の日本では「フェミニズム」って言葉を使わないほうがいいように思う」
「フェミニズムって言葉を使う人のなかに、「男女平等がいいよね、同じようにしたいよね」という人と、「女性の権利を増やしたい、そのために男性の権利を制限したとしてもいい」という人が両方いることが問題」
保守とネトウヨ、黒人差別問題を引き合いに、「「あれは過激派なんですよ」と自分たちで言った方が、(世の中の)理解は早まると思う」
こうやって抜き出すと、フェミニズムに全く関心のない発言ばかりで、記事が何を伝えたかったのかちょっともわからない。
炎上を受けて、後編では編集者の注意書きが入り、家事の分担およびアファーマティブアクションに触れるなどフェミニズムの観点からはポジティブな発言が太宗を占めた。
前編においても、合間合間で
「性別は生まれた時に自分で選べないじゃないですか。人種差別と一緒で、選べないもののせいで最初から不遇が決まっているのってどうなの? と思います。」
とか
「液体ミルクもやっと解禁になりましたが、今まで使っちゃいけなかった理由が僕には全く分からないんですよね。無痛分娩も、痛みに耐えないと愛情が生まれないとか、理解できない論理がある」
といった親フェミニズムな発言もある。
フェミニズムに関心がないだけで、素朴な感想を言ってるだけ。冷笑的だったり攻撃的だったりする様子は感じない記事なのだ。
このある種のはほんとした記事に、以下のような批判があがった(ひろゆき氏の目にとまった)。
お腹痛くなった、論破してほしい(玉田敦子氏)
発言のすべてがセクシスト(神原元氏)
自分たちの意見を聞かないと男女平等にならないぞ、説明させることが当然だという意識で男女平等を阻んでる(石川優実氏)
のほほんとした記事とはいえ、たとえば「(白人である自分は)人種の違いを気にしたことはない」とか「黒人は楽そうだ」とか「黒人の方が食いっぱぐれない」とか言ってる人が、同じ口で「黒人差別はダメだよね、平等は当たり前だよね」と言ったってあんまり説得力がないように、上述の人たちに苛立ちを感じさせたのだろう。
批判者らの発言は、要約していることを措いても、前述のとおり取材にぼんやり答えただけの氏に対して、過剰に攻撃的な言葉を当てにいったきらいはある。
しかしまあ気持ちは分からなくもない。
とにかくひろゆき氏はそれらの攻撃に反論するために「フェミニストは女性専用車両とレディースデーの撤廃を主張すべきだと思うが、賛否を述べよ」と迫ることとなった。インタビューに答えただけなのに、なんでそんな怒られないといけないんだ! という気持ちだろう。
まあ、分からなくもない。
立ち返って、ハフィントンポストのそもそも取材の意図はなんだったのか。記事の冒頭に
もっとフラットに「フェミニズム」を語る機会はないだろうか。専門家でなくても、より身近な「私ごと」として、この言葉に触れられないだろうか。
と書いている。
専門家であったり、日頃からフェミニストとして発言しているのではない人たちに、フェミニズムってなんなんだろうと聞きたかったわけだ。
そういう意味では成功している、意図の通りの人選であり、得られた発言である。
つまり、専門家やフェミニストを名乗らない人にとってフェミニズムとは「女性の置かれている不利な立場や不遇な状況について、ワーワー言うこと」なのだ。そんな中でもフェミニストを名乗る人は「ワーワー言う人の筆頭」である。
男女平等に反対する気もないし、家事は半々でやるよ、自分から推奨することはないけどね。というのが普通の人の発想ですよ、と。
…。
そんなこと前から知ってた。
ハフィントンポストはそんな明らかなことを明らかにしてどうしたかったのだろう?
無駄な苛立ちを生み出し、ひろゆき氏は女性の特権=女性専用車両とレディースデーという不毛な議論を仕掛けることになった。
女性専用車両は痴漢がいなくなれば要らないものだし、レディースデーを特権というなら各店舗にメンズデーも作るよう働きかければよくて、フェミニズムの仕事はほとんどないのではないか?
ひろゆき氏の主張はむしろ、取材時の発言を裏返して
「男性の権利を増やしたい、そのために女性の権利を制限したとしてもいい」
となってないだろうか。意図せず過激派になってるように、私には見える。
ところで同時期、子育てを車の整備に比喩させた漫画が話題になった。
なぜ夫は妻に教えてもらわないと動けないのか。なぜ母親が教育者の立場にならないといけないのか。違和感、モヤモヤたっぷりである。「教えてやるから嫌味の一つでも言わせろ」と思ってしまうのも宜なるかなと思う。
私はマルコムXの言葉を思い出す。
白人は黒人の背中に30cmのナイフを突き刺した。白人はそれを揺すりながら引き抜いている。15cmくらいは出ただろう。それだけで黒人は有難いと思わなくてはならないのか?白人がナイフを抜いてくれたとしても、まだ背中に傷が残ったままじゃないか。
白人を男性、黒人を女性とした時、ナイフを刺された側はたとえナイフが抜けたとしても、その傷を忘れはしないだろう。
なんならお返しに刺してやると思ったっておかしくない。
刺した側の「抜いてやった」という腑抜けた満足げな表情を目にして冷静でいられるだろうか。
無理だろう。間違いなく落ちていたナイフを手に持って刺し返すと私は思う。
フェミニズムを名乗らない人たちには、このマルコムX氏の比喩をよく覚えておいてほしい。決して俺は刺していない、別の誰かが刺していたから抜いてあげただけなんだ、なんて言わないでほしい。そして刺された側に「人を恨むな」なんて言わないでほしい。
ああ、そういえば、ドラマ「問題のあるレストラン」で傘の比喩があった。誰かが傘を持っていったから、次の人は何も気にせず他の誰かの傘を取った。最後の一人の傘がなくなることなんて気にもせず…(このセリフが東出昌大氏に向かって言われたものだったことをどう感じればいいかわからない…)。
ハフィントンポストの記事の趣旨を思い出そう。
もっとフラットに「フェミニズム」を語る機会はないだろうか。専門家でなくても、より身近な「私ごと」として、この言葉に触れられないだろうか。
ひろゆき氏の発言やその後の主張には、「現代って割と女尊男卑だよね」というものがある。これはひろゆき氏個人の独特の考え方ではない。
普通に生きてたら(たぶんかつての「若い男」こと私はかなり普通に生きてきた)、女尊男卑だと感じてしまうこの社会に何か問題がある。
実際は男尊女卑がまかり通っているのに、巧妙にそれを隠蔽しているこの社会。
「あなたはフェミニストですか?」と聞かれたら3つの答えがある。
一つ目は「わからない」。アンドレ・ブルトンがシュルレアリストを名指しし、あるいは除名したように、フェミニストの一覧があるわけではないから、そう聞かれたら分からないと答えるより他ないというものだ。まるで軍団のように取り扱うものではないだろう、ということでもある。
二つ目は「はい。でも、誰でも」である。全ての性別による差別を望まない人はフェミニストであるということ。フェミニスト以外は性別による差別を推進する差別主義者である。
そして三つ目は「いいえ。そもそもフェミニストなど存在しない」。なぜなら、みんなフェミニストだから、あえてそれを名乗ることなどないのである、という発想。いわば、私たちがいちいち「人間です」と名乗らないように、「フェミニストです」と名乗ることもない、ということ。
お分かりのように、三つの答えは全て同じ答えである。