西口想の『なぜオフィスでラブなのか』を読んだ。
1960年代にお見合い結婚より恋愛結婚が多くなる。結婚に求められる長期的な経済保障の主体が「家」から「会社」へ移行したこととリンクしていると考えらることができ、実際他国に比べ日本における出会いの機会は、生活圏(学校や幼馴染)や紹介(親族や友人)ではなく職縁型(職場、仕事の関係)が群を抜いて多いのである。
多くの人がオフィスでラブしている。
この「オフィスラブ」という言葉を西口は「発声したとたん、全身から力が抜け、周囲に靄がかかり、理性が脱臼するよう」だと表する。
たしかに、自分の親が職場結婚だったとすれば、それを想像したり受け入れるにあたってなるべくこの「オフィスラブ」のような言葉は避けるだろうなと思う。実に軽く、できるだけ軽く「うちの親は職場結婚だね〜」と何かを受け流すかのように取り扱うだろう。「わー、小学校の同級生同士なんて素敵やね〜」とか他の人に話題をずらして。
本書では、さまざまな小説を通じてオフィスラブを考察する。オフィスラブを通じて、仕事と恋愛と結婚について考えている。論文調ではなく、エッセイ的である(勝手に、どっかの院生による卒論の書籍化と思っていたので)。
川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』や津村記久子の『カソウスキの行方』など好きな本も取り上げられていたし、未読の綿矢りさ『手のひらの京』や源氏鶏太『最高殊勲夫人』、田辺聖子『甘い関係』、津島佑子『山を走る女』など、紹介の仕方がうまいので読みたくなってしまってうずうずしている(長嶋有の『泣かない女はいない』は、紹介されるエピソードは読んだ覚えがあるのに、なぜか読んだ記憶がない!)。
しかし、そうした書籍の紹介と考察、つまり本文よりも最終章の「オフィスラブと「私」の物語」がなによりも良かった。
著者は自身の母親の人生について、仕事を続けながら子育てをすることで、得たかったであろう「対等な夫婦関係」(家事の完全な折半)ができなかったことを考える。
母が求める人生のモデルは、おそらく最初から明確だった。
自分の意思が人として尊重されること。
女性であるという理由で差別されないこと。
世の中を良くするための仕事をすること。
仕事を続けて収入を確保し、対等なパートナーと家族を築くこと。
そして、いつでも離婚できる状態にしておくこと。
母は希望するほとんどを手に入れたが、真に対等な夫婦関係だけは思い通りにいかなかった。大人になってから出会うしかない「配偶者」という他者をコントロールすることは難しかった。
現在の五十代後半から六十代の女性は、核家族化の進行により、親の助けも得られない中、保育園や学童、近隣の方々の助けを得て、仕事をしながら子育てをした第一世代と言えるだろう。仕事においても男性以上に評価されにくく、子育てにおいても専業主婦以上のことができない状態。それは今もある問題だが、より深刻にその世代の女性を襲っていたことと思う。
同世代である私の母親は一旦専業主婦となった。その後、子育てが一段落してからパートタイムで仕事をしていたが、その仕事に充足感を得られていた様子はなかったと記憶している。
何を選び取っても、期待していた以上のものが得られない。誰しもそうかもしれないが、漏れなく満遍なくそうなってしまった世代・性別のようにも思える。
これは私が勝手に思っていることだが、母は彼女の人生で思い通りにいかなかった部分を子育てに託していた。
(…)
子どもに早いうちから家事を手伝わせ、料理をすれば褒め、特に性差別的な発言は見逃さず、「家のことは女がやってくれる」という観念を持たないように育てた。
著書の母親は、満足できなかった部分を埋める手段として、子育てに一縷の望みを託した。同世代の専業主婦の多くも、子育てに自身の希望を乗せただろう。それはかの世代の処世術であり、SF的希望でもある。
私の場合、「家のことは女がやってくれる」感覚を持っちゃったまま大人になってしまった。著書の母親とは反対に、「私がなんでもやってあげる」タイプの母親だったからだ。それがフェミニズムに逆行する態度だとはまったく思っていなかっただろう。
社会人となり一人暮らしを始めてから驚いた。なんでも自分でやらないといけないのだ。私は洗濯機や冷蔵庫、お風呂、IHコンロ、エアコン、テレビ、レンジ、トースターの説明書を熟読し、家事を始めた。
母親はそんな私のことを心配していたが、自身の病気により、東京に来ることはできなかった。病気がなければ、きっと二ヶ月に一回くらいは来ていたことだろうな。
さて、著者は社会人となってから、母親の問題意識を引き継ぎながら生きていく。
その頃、私も同期の女の子と付き合っていた。
(…)
当時付き合っていた彼女は「男は外で稼いで家族を守るものだよ」と私に言っていた。それは、彼女が自分の両親を見て受け継いだ性別役割モデルだったが、全然ピンとこなかった。
現在の二十代後半から三十代の世代に、このエピソードは割としっくり来るのではないか。ちょうどフェミニズムのバックラッシュ世代であり、男性女性ともに性別役割意識が高かった。
私自身も、同期の総合職に女性が多いことに驚いたり、寿退社的なものを無邪気に信じていたりしていた。会社の上司もおっさんばっかりだったし、女性のロールモデルがなかった。
現在では、上の世代が育休から復帰したことで女性の上司が増えてきたが、当時はちょうどみんな育休に入っていた時期なんだと思う。
おっさんたちは、能天気に仕事だけしながら、若者を飲みに誘って、「家に帰ったって面白くもなんともないわい」と愚痴っていた。それは以下の著書のエピソードと被る。
女性社員にすぐ手を出すことで知られる、自分の父親くらいの歳のプロデューサーが、あるとき私にこんな話をした。
「おれはこんなに家族のために頑張って働いてきたのに、家族は分かってくれなかった」
その言葉を聞いたときに、やっぱりそうなんだと思った。彼らは傍からは強者のように見えるが、どこか取り返しのつかない虚しさを抱えている。それは仕事とジェンダーと社会との関わりから生じる構造的な虚無感であり、「損している」感覚だと思った。
損している感覚。これは現在も男性を貫く問題である。女性の生き方がどうこう書いてきたが、それはつまり男性の問題なのである。男性が、男性を仕事に縛り付ける社会が、男性が家事育児に参加できない社会が、女性を調整弁的に扱う社会を作っている。であるから、男性のその社会を男性が変えなければ、損している感覚を脱却できなければ、どうにもならない。
現在の男性は、もしかすると仕事と育児に悩んだ母親世代と同じ立場にある、「第一世代」なのかもしれない。
私は、そんな地点からこの本を書き始めた。
母親の得られなかったもの。
付き合った彼女の感覚。
上司の持つ損している感覚。
同世代だからだろうか、同じ地点にいると思えた。向き合えっていけるだろうか。向き合っていかなくちゃいけない。怖い。