Nu blog

いつも考えていること

褒めてほしい症候群

褒めてほしい!

という気持ちが邪魔なのだ。
 
幾つか気になった記事があったのでピックアップ。
 

allabout.co.jp

「手伝ってあげている」にもかかわらず、子どもが言うこと聞かないので、女が子育てやって、たまに男が「手伝った」ら、褒めろ、というわけのわからない内容。
しかも書いた人は男性のようで、つまり、「俺頑張ってるから褒めてほしい」という小っ恥ずかしいことこの上ない主張である。
 

www.huffingtonpost.jp

翻って、そんな褒めてほしい自分の気持ちはどこからやってきたのだろうか、という描写であり、反省文。
最後謝ったはいいものの、それでわだかまりがなくなるか、何と無く先行きに不安さを感じさせるあたり、反省の深さを思う。
 
共通するのは「褒めてほしい」願望。
プラス、褒めてくれないなら怒るので、そのあたり考慮してね、という甘え。
 
子育て、家事、女性の仕事とされていることを、僕は男性だけれど理解があるので「やってあげる」。
女性の君の負担は本来に比べて減っている。
ああ、感謝してほしい。
この感覚、他人事ならぬものを感じる。
 
しかしながら、そもそも家事、子育ては、その家族の構成員において協力して行われるものであり、誰か(特に女性)に一方的に負担がかかっていたことがおかしいのであった。
にもかかわらず、「手伝った」だけのくせに褒められようなどと思うのはちゃんちゃらおかしい。
それのみか、褒められなければ怒るという、いわば脅迫を持ち込んでしまえば、どのような主張を企てようと正当性を欠くことは必至である。
 
しかしながら、周囲の「仕事して飲んで帰って寝る」男性に比べて、なるべく定時で上がり、料理を作ったり食べさせたりお皿洗ったり、子供をお風呂に入れたり、夜泣きに対応したり、家事参加をする男性ほど、
「ねえ、君は、あいつらと結婚しなくてよかったねえ」
という気持ち、意識が中途半端に高いと持ってしまうんではないだろうか。
 
心の奥底では、他の男性の残業、飲み会、ゴルフ、麻雀、家に帰れば寝るだけ生活に、羨ましさを感じていればいるほど。
 
朝日新聞の「折々のことば」でヒュームの言葉が紹介されていた。
「嫉妬を生むものは、自他のあいだの大きな不均衡ではなく、むしろ近似である」
自分も男としてそうしたいのに、家事を「手伝う」ような「女のご機嫌取り」に付き合わなければいけない悔しさが、嫉妬になり、褒めてほしい願望につながり、怒りへと変わっているように思う。
 
Twitterハッシュタグにおいて「#NotAllMen」というのがある。
痴漢やストーカー等女性が被害にあった際やそれらの話題に対して
「全ての男が痴漢やストーカーをするわけじゃないよ」
「俺は痴漢もストーカーもダメだと思うし、しないよ」
と、何の解決にもならないことを言うことを意味している。
それどころか、痴漢やストーカーをしない自分は女性を差別していないので、褒められていい、という態度では何をか言わんや、である。
 
 
なので、むしろ、平日は何もできない(しない)ので、休日は車を出し、重いものを運び、家中の窓を拭き、エアコンの掃除をし、本棚を組み立てるような大工仕事をする男性の方が、それを自分の仕事であると認識してやっている分、恩着せがましさがなく、諦めがつくかもしれない。
 
無論、共同生活を送るその家の構成員によって分担の配分が変わるわけで、得意不得意もあることだろうから、問題は不公平感があるかないかであって、最初に分担を決めたんだからそうしよう、ではダメなんだと思う。
適宜見直して、相手が負担に思わないようにすることを目指し合わないと、どちらかが諦め、疲れることになる。
 
この間フジテレビで「恋愛あるある」というドラマをやっていて、その中の「同棲恋愛あるある」なんか、まさしくそういう、いつの間にか女性にしわ寄せがいっている問題だった。
ムロツヨシ演じる男性像が「あるある」なことをもうちょっと考えた方がいいし、「俺はあそこまでひどくない」なんてことを思うのも見当違いだ。

www.fujitv.co.jp

 
最後にもう一点。
差別とその是正に際して、「今ある不均衡」がネックになるのだと感じる。
差別している側が、差別された側の訴えに気づき、是正に乗り出したものの、「やってやってる」感覚、感謝してほしい素振り、「よかったね」というような上から目線である場合、差別は結局なくなっていない。
今の女性活躍がどーのこーのという政府の方針も、そういうところがある。
いや、それよりも悪質なのは「輝く女性」=「経済活動にも少子化抑制にも介護にも役に立つ女」であるところか。
働け、子を産め、育てろ、親を見ろ。えげつない要求である。
男は労働以外にはコミットしなくても良いのか。
あるいは子育てや介護は、個人ではなく公共的に行うべきではないか?
そうした議論なく、女性が活躍すれば少子高齢化の問題が解決することになっている異常さに薄気味悪さを感じる。
「今ある不均衡」が見えてすらいない。 

世間によくある、「男性は自尊心を傷つけられたくない生き物だから、女性は配慮してあげて」という言説は、白人が黒人に対して、「白人は自尊心を傷つけられたくない生き物だから、黒人は配慮してあげて」と言うようなものだ。女性だって黒人だって、自尊心は傷つけられたくないに決まっている。彼らが言っていることは、つまりこうこうことだ。「俺たちはお前たちを傷つけるが、お前たちは俺たちを傷つけてはならない」。
 

d.hatena.ne.jp