副題は「私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか」である。
二〇一八年度から道徳が教科となり、子供たちは伝統と文化を尊重することや家族愛、規則を尊重することを授業の中で教えられることとなった。
母親が無償の愛で子供に尽くす物語を読ませられたり、送りバンドのサインを無視して二塁打を放ちチームを勝利に導いた少年がボロクソに怒られたり、するらしい。
日大アメフト部の例を出せば、一瞬で反例の見つかるそんなお話であっても、小学校の授業における答えは「自己犠牲は尊い」の一択なのである。
どこからそんな発想が生まれてきたのか、そして日本において定着したのか。明治時代に遡って、その起源をたどっていく。
結論は「終わりに」でまとめられているとおり、
ということに尽きる。
言外に理想の子供を匂わせ、その通りに振る舞わせようとする教育。
この国には「あなたはどう生きたいですか?」という、生きるにあたっての一番はじめの質問が欠けている。
どう生きたいかは道徳の枠にはない。
丁寧に一つ一つ文献にあたっていく姿勢には感服させられるし、的確なツッコミも面白い。
おきゃんな少女が悲惨な目にあう物語が量産された時代は、そんな遠い昔の話ではない。