エヴァンゲリオンを観た。
一言で述べるなら「ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。おつかれさま、庵野秀明」である。みなさんそうではないだろうか。
たくさんの観点から語ることのできる重層的な物語を圧倒的な映像の面白さ、楽しさでまとめあげた。話題づくりなども含めて日本全体、世界全体を巻き込む庵野秀明のプロデュース力も見所だろう。
私にとっての前半の見所は第3村のシークエンスだった。
綾波レイ(仮)が「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」「さようなら」といった生活のための「おまじない」を覚えたり、労働を知ったり(「これが仕事!」には笑った)、子供という存在を知ったりしていく過程。
この過程は私たちが人生で辿る順路を象徴していて、挨拶をすること、働くこと、次世代につなぐこと、という社会生活の基盤を示しているのだろう。
それらを正しいと断言できるかは置いておいても、それらに一定の価値があることを認めることには同意する。
とはいえ、人によっちゃ「何を当たり前なことを?」だし、人によっては「お寒い説教みたいなこと言ってやがんな」だろうし、人によっては「確かにそうだよなあ」だし、人によっては「自給自足はそんな甘いもんじゃない!」だったりするだろうが。
エヴァンゲリオンを観て共感する人というのは、自分にある程度閉塞感を抱いている人だと思うのだが、そんな鬱屈した若者たちが、25年の歳月の中で、労働や育児などの「強制イベント」を経験させられてきたことを想起する。
「嫌だよー、なんでこんなことしなきゃいけないんだよー」と喚いたり塞ぎ込んだり自暴自棄になっていた若者たちも学校を出てしばらくしたら働き出し、あれよあれよとつがいになって子供を作り…。
あんな嫌がっていたはずなのに、社会へと溶け込んでいる自分に気づく。素朴に「仕事って大変だけど、大事なことだな」「子育てってしんどいけど尊いことだな」みたいな。
なので、大なり小なり、この第3村での綾波レイ(仮)に感じるものがあるのではないだろうか。
その他にも、仕事は命令ではないという会話から「なぜ私たちは命令がないのに生きているのか」とか思ったし、シンジに投げかけられる「死にたくもないけど生きたくもないだけでしょ」というような言葉も、自己への深い問いかけとなる言葉だと感じた。
また、エヴァのパイロットらはシリーズ化されたもので、感情もまたデザインされたものだということもあらためて示され、この寓意的な設定に対して、私たち人間も極論的には脳に分泌されるホルモンやなんかの化学反応によって動く人形みたいなもんだから、誰もがエヴァのパイロットらと同じだよなあと改めて思ったりする。
あの時の感動も感情もあの人を好きと思ったのも、すべて偶然ではなく必然かもしれない。しかし、それでも構わない。私たちがただの人形だとしても、自分の感じているこの気持ちは嘘ではない!
前半でそんないろいろを一気に示してくれたから、はやくも救われた気持ちでいっぱいになった。
そして物語は後半へ。
ヤマト作戦が始まって「これまでのカオスにケリをつける」ことになる。
ようやくゲンドウの物語が始まり、スタジオセットでの対決から親子での話し合いへと進んでいく。
「子を恐れる父」という自分の弱さを認めるゲンドウ。そもそも、ゲンドウは他人が苦痛な幼少期を過ごしたが、ユイを通じて生きることの楽しさを知る。
女を通じてようやく生を実感し、子供を恐れ、そんな自分の弱さをようやく認めるに至る。
遅すぎる、というのが大抵の感想だろうが、私たちの中でどれだけの男性が自分の弱さを認められているだろうか?
あるいは、子供は自分と異なる存在だとみんなちゃんと気づけていたか?
当たり前と蹴っ飛ばすには当たり前ではないことを、私たちは人生の中でゆっくり知っていく。エヴァンゲリオンも、そのことにようやくたどり着いた。なんというか、それはどっちが早いとか遅いとかではなく、私たちの人生にエヴァンゲリオンが並走してくれていた、というような感覚である。
そして、「エヴァがなくていい世界」へと踏み出したシンジ。
マリはマリアを表しているから、最後つがいになるのは致し方ないと思いつつ、この異性愛しか認めないように思われるオチは批判されるポイントの一つだろう。
今もまだ閉塞感に苛まれる人がいれば…。現にエヴァンゲリオンを見てきた世代の一つにはロストジェネレーション、就職氷河期世代も多く含まれ、家庭を築きたくても経済的に築けない人、あるいは経済的な理由も相まってうまく人間関係を構築できていない人も多くいるわけで、単純化すれば「家族って、友達って、人間っていいよね」という無邪気すぎるオチを受け入れられない人も少なくないだろう。
そればかりか、セクシャルマイノリティーやそもそも「女性」にとっても、この結末は受け入れ難いところがあるかもしれない。ミサトやリツコらが背負わされてきた女の役割(女、母、仕事)の荷を下ろせたわけではないように思う。
むしろマリ=聖母の存在がクローズアップされることは、反対に「家庭さえ築きあげられれば」というような鬱屈した方向を導きかねない。本当の問題は、前半に示されていたように継続して人間関係を続けていくことなのに。
というように、常に人生の傍で、人生に直接関係するような問題提起もしてくれるアニメ、エヴァンゲリオンが終わった。
やっぱり、おつかれさまでしたと言うより他ない。
批判や問題点は、これから生み出される新たな作品たちが解決していくだろうと思う。
エヴァンゲリオンのようなアニメや作品がまた現れることを期待しているし、もうそんなものはないのかもしれない、とも思ったりする。
音楽が最高に良かったよなあ、ということも付け加えておきたい。
過去のロボットアニメなどへのオマージュらしいが、それを知らない私として、かっこよいと感じた。