Nu blog

いつも考えていること

納得いかない

生前退位についての報道があったときにも書いたのだが、どう考えても天皇制ってのは私には納得のいかない点が多すぎる。

けれど、多くの人が改元騒ぎを楽しんでいたようなので、日本国民の多くは天皇制を肯定していると思うと、割と暗い気持ちになる。

しかし実はそんなことは当たり前のことで、天皇というのは日本国憲法の第1条において「主権の存ずる日本国民の総意に基」き、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされているのだから、たぶん現在の日本においても総意としては天皇制を肯定するものなのだろう。

芦部信喜憲法』(第三版)によれば、「したがって、天皇制は絶対的なもの、不可変更的なものではなく、国民の総意により可変的なものとなった」とされているので、もちろんその位置付けを変えることは明治憲法とは異なりできるわけであるが。

いずれにせよ、天皇制は憲法に明記され支持されたものであるから、これから書くことは少数派の戯言に過ぎない。それでも一応書きたいし、伝えたい。天皇制については、私は割と言いたいのである、珍しく。

 

何が言いたいかといえば、五月三日の朝日新聞法哲学者の井上達夫氏がはっきり書いてくれているのであるから、引用したい。

私は象徴天皇制を、日本に残った最後の「奴隷制」だと考えます。

記号的存在にされた天皇・皇族は政治権力どころか人権まで剥奪され、表現の自由職業選択の自由もない。

(人権の剥奪や女性差別を問題視する声が小さくなり、現代の日本では)主権者国民が一体化できるための結節点として天皇・皇族が利用され「人権なき記号」と扱われることに違和感がないのです。

天皇・皇族に対する人権侵害は被差別少数者の人権侵害と通底

 これに尽きる。

みんな思わないんでしょうか、天皇家に生まれたという偶然のせいで、象徴だとかなんだとか、偶像的な崇拝の対象とされ、進学にも結婚にも就職にもいちいち理由や意義や正当性を問われ、選挙権もなく、自由な発言も制限される。

自分が天皇家に生まれたら納得できるのだろうか。私はできないし、したくないし、させたくない。

もちろん、上皇、そして即位された天皇、また皇族の皆様は現在、そのような状況を受け入れ、日々過ごしているわけであるから、めちゃくちゃえらい。

めちゃくちゃえらいし、その人たちを批判するつもりなど毛頭ない。むしろ、その置かれた立場に私は憤っているわけである。可哀想過ぎへん!? という感じである。

 

即位にあたって、勾玉やなんや宝物が継承されたわけだが、「日本国民統合の象徴」にそうした「モノ」を持ってくることはできないのだろうか。なぜ人じゃなきゃダメなのか。人にそんな役割を与えるから、まず「人権侵害」が発生しちゃうのであって、「モノ」ならまず「人権侵害」は起きない。

まあ、モノを崇拝している国民、というのも結構やばめな感じはするが、それは人を崇拝しているのだって大差ないから目をつむろう。

 

元号が変わることと時代が変わることはイコールではない。むしろなんの意味もない。

であれば別にお祭り騒ぎをしたって構わない。道頓堀に飛び込むことに本来ならば理由など必要ない。

辟易するけど、批判するほどのことではない。

でも、だからこそやっぱり、天皇制は日本に明白に存在する、一つの、そして重大な人権侵害であることは間違いない。

「そのことを自覚した上で、天皇に感謝してるんだよね」なんて開き直るのは、止してほしい。その開き直りは、何にもかっこよくない。