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いつも考えていること

山崎ナオコーラ「ブスの自信の持ち方」他

山崎ナオコーラ「ブスの自信の持ち方」

山崎ナオコーラはいつもあくまでも個人主義である。「個人主義」って言葉に学術的な意味があるかは知らないが、簡単に言えば「みんながみんな一緒ではないから、変な連帯なら要らないよ」というような考えだと思っている。 

だからこの本も「私は社会学者ではないし、女性の味方でもない。とにかく、文学者として、個人的なことを、自分の言語センスで綴りたい。心を開いてまっすぐに読者と向き合いたい。」というスタンスで書かれるし、「私は、ひとりが好きだから、人付き合いも大事だから、自分と考えが違う人ともできるだけ付き合うようにしたい。「右」とか「左」とかで、まとまりたくない。」 と言う。

だから、個人に対してメッセージを伝えたのに、新聞社の記者として、組織の論理で動かれると戸惑ってしまったりする。

そういう個人主義な生き方はわかる。でも、そうやって個人主義で生きるのは少し難しい。

私も個人主義な考えを持ちながら、一方でたくさんの人が所属する企業のサラリーマンとして生きている。つまり、実際は組織の論理で動いてばかりである。

しかしながら、そうやってサラリーマンをする中で、組織の論理も面白いと思える瞬間があることを知った。感心することも少なくない。ちょっとずつ知恵を出し合って、責任を分散して、ちょっとずつ我慢する。そうすれば案外、本当にひどいことは避けられる。結局のところ「働きやすくした方がより稼げる」という理屈に基づいて動くので、基本的に企業活動というのは漸近的に良くなっていくもの、と思っている。

むしろ政治のような「みんなで我慢」を前提とした活動の方がエゲツないことが起きやすいように思う。「みなさんのご意見もわかるが、この地域が我慢しなければどうにも全体が立ち行かんのです」みたいに、政治は無理が通って道理が引っ込む。

久々に言うが、私はやっぱりアナルコキャピタリストである。みなさんは、どうでしょう。

 

橋田壽賀子渡る世間は鬼ばかり

いつもどおり、トラブルからわいわいするのが、とにかく心地よい。物語の立ち上げ方が天才的。そして例年同様何度も「私は邪魔者扱いよ」というセリフが繰り返される。冒頭一時間で四回くらい言ってた。フーガ的展開に脳みそが痺れる。

みんな一方的に話しまくって、「じゃ、そろそろ」なんつって出入りするのもおもしろくてしょうがない。みなさん、スマホも手に入れたことですし、そろそろアポ取ってから訪問してください。「あら、いないの」じゃないですよ!

さてさて、えなりかずきはいつまでああいう労働をするんだろうか。遅くまで働いてるの一点張りで育児に参画しないままであるが、そろそろあの会社を辞めて、条件のいい会社に移るべきではないだろうか。長谷部さんへの恩義はわかるが、長時間労働が過ぎる。義父の介護の時にはいろいろやりくりしてたのに、子供のことには非協力的なえなりかずきに疑問符しかない。そして、貴子さんはまたしても家出したというのに、今回は解決すら見せられず終了。なんだかなあ。橋田先生、あの夫婦のこと嫌いすぎではありませんか。子供を連れて四十九日に来ただけでも、評価してあげてほしいものです。

さらに毎度持ち上がる日向子の結婚話。昨年も誰か立候補してたような気が・・・(思い出そうとすると、頭痛が激しくなり思い出せない)。今回は一緒に働きたいから調理師になるなどと言い出してどうやらこのままいけば結婚して一緒におかくらをやってくれる様子。タキさんも橋田先生も、日向子がおかくらを一人で切り盛りしていく展開にはしたくないらしい。まだ二十二歳なんだし放っておいてくれ! と思うのは私だけか。

結局三時間スペシャルにおいて、五月がYouTuberデビューした以外の目新しい情報はなかった。年を追うごとに誰かが死んだ以外の新しい情報がなくなるのは、現実世界と同じである。しかし、来年も楽しみである。なぜなら、現実世界の親戚関係と違って、傍観者でしかないから、なのである。