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いつも考えていること

読書紀

小熊英二の『単一民族神話の起源を読んだ。分厚い分厚いと敬遠していたが、スッキリとした章立てで、内容もすっと入ってくるし、学術書のはずが、一般書のような読後感であった。こういうのを文章力というのだろうか。狐につままれたような気分である。 

「人種」を巡って、時々の政治状況に応じ、いろんな血が混ざったのだと言っていたかと思えば、純潔なのだと述べたり、数百年の時を経ているからセーフ、みたいな子供みたいな理屈が登場したり。学問的な定義をしようとしているとは思い難い紆余曲折がある。

774夜『単一民族神話の起源』小熊英二|松岡正剛の千夜千冊

 

「血」の概念が好きな人って多い。「実の親子」とか「血は繋がっていないが兄弟のように思っている」とか、「親の血が自分に流れている」とか血にまつわる表現はいろいろあるが、福岡伸一を引くまでもなく、私の体を流れる血は私の食べたものが一時的に血となってこの体に流れているに過ぎない。そりゃ、母親の胎内にいた時はどうだとか言い出したら親の血との連動した血が流れていたこともあるでしょうが、産み落とされてしばらく経てば、そんなもの総取っ替えされている。

だけど、気になる自分の祖先、というところか。むろん私は気にならないけども。

 

で、そういえば百田尚樹の『日本国紀』ではそこんところどう書かれてるのかが気になって読むことにした。しかし、祖先の来歴については大したことが書かれていなかった。

いちおう「朝鮮半島カムチャツカ半島経由」の人間と「南方からも海を渡ってやってきた」人間から「縄文人はそれらの種々な人々が何代にもわたって混血してできあがった民族」であり、さらに再び大陸から朝鮮半島を経由して、縄文人とは異なる人種がやってきて、縄文人との混血が進んだ」らしい。「DNA解析が進めば、かなりのことがわかるだろう」とのこと。

混合民族論っぽいようだが、たぶん民族同化論だろう。要は、いろんな血が混ざっているものの、時を経て日本民族という単一民族が形成されました、という発想。まあ、これ以上詳しく語られないので、そっとしておく。(「沖縄県民の遺伝子は中国人や台湾人とはとても遠く、九州以北の本土住民に近いという結果が複数出ている」「琉球は(…)民族的にも言語的にも日本である」という民族論が展開されるところがある。あと万世一系の説明でX染色体、Y染色体が出てくる。遺伝子とかDNAとか、血に代わるより「科学的なもの」が幅を利かせているんだなあと思う)。

どうせ読み始めちゃったし全部読むかと思ったが、(わたしの好きな文章の流れ、文体、筆致ではなかったため)読みにくく、しんどかった。

そもそもここで書こうとしている「日本」が何か(わたしには)わからなかったから、読み通してもイマイチピンとこないのである。この本は、天皇をめぐる物語でもなく、権力者をめぐる物語でもなく、一般庶民の民俗史的な物語でもなく、「我々日本人」という(作者にとっては)自明の概念が視点となっているから、その視点を共有できていないわたしには理解できないことがたくさんあったのだと思う(「我々日本人」ってそもそもなにか、みなさんピンときますかね。もしかしたら「それにピンとこない人は日本人ではない」という理屈もありえるかもしれないですね、残念です)。

そうした全体的な感想のほか、瑣末な部分をいくつか書いていくと、唐突に「だから歴史は面白い」的なご感想が入るのには笑ってしまうし、不意に入る韓国・中国ディスはまったくもって謎で、何が言いたいのかわたしにはわからなかった。また、「〜と言われているが、事実は違うようである」みたいな謎の伝聞はどこからどんな情報を仕入れて言ってるのかわからず戸惑うしかない。

さらに、ちょくちょく「奇跡だ」「奇跡だ」と書くのだが、正倉院に宝物が残されていることを「奇跡」で済ませるのは納得いかない。奇跡ではなく、宝物を管理する制度が整えられ、各時代の人々がきちんと仕事を果たしてきたから残ったのである。奇跡で残ったわけじゃない。文化財の文脈では法隆寺の火事を契機に文化財防火は重要な課題として認識されている。努力の積み重ねを「奇跡」の一言で済ませて良いと考えているのであるのかもしれないが、もうちょっと言葉を費やすことができたのではないか。

加えて気になったのは、「歴史用語を現代の感覚で言い換えたり、使用禁止にしたりする行為は、歴史に対する冒涜」と述べつつ、聖徳太子をインテリと呼んだり、武士とヤクザは共通点があるとか言い出すのはどういう感覚なのだろうか。さらに、「「藩」という言葉は明治元年に使われ始めたもので江戸時代に作られたわけではない」と前置きしつつ「便宜上、「藩」という言葉を使うこととする」と、自ら違反しちゃうのもどういう感覚なのだろう。 

また、フロイス等外国人の日本評をよく引くのだが、フロイスのこともインテリと呼び、さらに「文才豊かで教養もある人物だった」とまるで友達のことを評するみたいに書く。友達だったのだろうか。

ほか気になったのは、江戸時代の農民について。「悲惨な暮らしをしていたという誤ったイメージがある」とし、また武器を持った一揆も「ほとんど起こっていない」とするが、田沼意次についての記載においては「生活に困窮した農民たち」「農村は荒廃」「一揆や打ちこわしも増えて町の治安は悪化」と書いており、じゃあ前者は何が言いたかったのだろうか、どうして中途半端にイメージを覆そうとしたのか、宙ぶらりんな状態にされてよくわからない(天保の頃にも飢饉と一揆が起きてる…)。

そして、幕末から明治維新についてを「これまでの二百五十年間に起こった様々な大事件をすべてひっくるめても、この時代に起こった大事件の総数に及ばないのではないかと思える」というが、まず質と量のどちらを比べているのかよくわからない日本語な上に、文献として残っているものを事件として語っているのだろうから、時代が下るにつれ事件数が多くなるのは決まってるんじゃないだろうか。

 

わたしは専門家ではないから、一つ一つの事案にその正統性の有無を問うことはできない。パッと読んで前後の文章の流れから疑問に思ったことを書いたまでである。とはいえ、一人の人の中で矛盾があるなんて、珍しいことじゃない。それも含めて人間ですよね。目くじら立てる気はさらさら無いです。『日本国紀』を読んで勉強になった、感動した、とても面白かった!と思う人もいるわけだから、一人一人のその感想は大切にしたいし、専門的なバトルは専門的なバトルとしてやってほしい(もう終わったのかな?)。

発刊から何年遅れで読んでいるのかって話ですが、本のいいところって、こうやってタイムラグがあってもツッコめることでしょう。たいへん、勉強になりました。感謝。