むむ。『単一民族神話の起源』や『1968』と違って、何だか難しかった。
目的は「民主」とか「愛国」とか、「国家」や「民族」、「市民」や「国民」のような、現在も使われる言葉がどのように変化していったのか、という「戦後の言説を再検証」することである。
で、あるがゆえに、取り扱う対象が思想家たちの記した言葉が多くなり、ひいてはその思想家たちの背景、つまりどのように戦中を過ごし、戦後どのような生活の中思想を育み、どのような考えを受けて言葉を発していったか、を明らかにすることに多くが費やされ、それを追っていくのは結構しんどい。
また、1960年代以降始まった言説の断絶(言葉の使い方の変化)がゴールであって、昨今の言葉の使われ方との比較が対象とはなっていないことも読み進める上でのハードルかもしれない。その意味で『1968』が本書の続編的になっている。そして、本書と対になるように『1968』は名もなき人たちの書き散らかしたものを分析対象に入れているのが、『1968』を楽しめた理由かもしれない。
いずれにせよ、終戦直後、戦争の記憶と苦悩していた時の言葉が、数年、数十年経つと手垢がつき、誤解を生み、曲解され、若者たちに非難され始める。その時にすでに老いた年長世代は「そう言う意味で言ってたんじゃない」「きみらが何を言ってるのかわからない」と断絶を覚えてしまう。今も繰り返されている光景のように思う。これらは資本主義が抱える「今だけ、ここだけ」の原理につながるような気がする。「今だけ、ここだけ」よければいいから、環境破壊も気にならないし、仲間内だけでの倫理が優先されたりするのが資本主義だ。言論の世界でも「今だけ、ここだけ」の戦いが勃発して、「これからを生きる俺たちの意見が重要」「そういう風に理解できるような書き方だ」というような情緒的な批判が誘発されたように思えた。
とはいえ、人は自分の了解の中で考えるわけだから、そういう誤解が始まってしまうのも無理ならぬことだと思う。同世代の間で共通認識とされている前提も、世代が違えば共有できない、なんてのはまあ、おかしなことじゃないだろう。
で、あればこそ、年長世代だけが政治の世界を牛耳る今の世の中は、認識の共有ができない断絶社会と見えなくもない。医療の進歩により寿命が伸びて、健康に過ごせる時間が増えた今、ルール上何歳からはその役職に就けない、というような縛りを設けることも社会の新陳代謝のために必要だと思えなくはない。しかし、それは年齢差別でもある。生活のために働くいているんじゃなく、権力や理想のために働く人が一番怖いよなあ。
あ、なんか後半は、本書の話ではなく、最近話題のお偉いさん方のことを考えながら描いてしまった。閑話休題しましょう(どこからが閑話・・・?)
印象に残った部分を挙げていく。
今や憲法改正を党是に掲げる自民党の祖たちが憲法を是としているわけで、第九条を賞賛してたりする。1947年5月3日の憲法施行記念日の奇妙さは強烈で「式典は皇居前広場で行なわれ、吹奏楽団がアメリカ国歌の「星条旗よ永遠なれ」を演奏した。入場した昭和天皇は、吉田首相らの「天皇陛下万歳」の歓声によって迎えられ、マッカーサーの祝辞とともに憲法を祝った。二日前のメーデーには、四十万人の群衆が皇居前広場で食糧増配と賃金増額を訴えたが、五月三日の憲法記念式典に集まったのは三万人だったといわれる。」(162−3)らしい。
いずれにせよ、受け止めとしては理想的主義的な憲法だったから、現実に飢えている人をどうするんだ、という反発が大だったようで、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことができていないことが第一の問題だった。むしろ共産主義勢力は自衛権の放棄が解放戦争を阻むものとして9条反対だったらしい。現在の改憲・護憲の状況とは大違いである。
5章「左翼の「民族」、保守の「個人」」も昨今の情勢と異なる様を見せているのが面白い。つまり、当時の保守とは戦前からのエリート・既得権益者ゆえに「個人」主義で、当時の左翼は世界的な共産主義の動きと連動し「民族」主義的であったという。昨今の「保守?」が民族主義的?であるのに対し、「左翼?」の方が個人主義的?なのと反対のように見える。が、まあ、昨今の保守・左翼の区別は謎なので、そう十把一絡げに言えるものでもないだろう。
荒正人が「「日本民族が残虐な侵略戦争をやつたといふ贖罪感」を、キリスト教の「オリジナル・シン」の代用にできないかと述べている」という件は大変に興味深く思ったが、あまり深く掘り下げられているわけではない。いずれにせよ、そうした人々の後悔の念が獄中非転向を貫いた徳田球一や宮本顕治を神格化していくのも興味深い(そしてめちゃくちゃ時代を読み違えていくのも)。
7章「貧しさと「単一民族」」ではインテリ知識人たちが「民衆」「大衆」との隔絶を反省し、啓蒙活動ではない民衆志向の活動を始める描写がある。そこで鶴見和子が「これまで「日本では」とか、「日本人は」とかいうもののいい方をしてきたことが、はずかしくなりました。日本の国の困ったところや、日本人の悪いところを考えるときに、いつも、自分が日本の中に生きていることを忘れ、自分が日本人のひとりでないみたいな態度だったのです」とのべていることを紹介しているが、この感覚は今となっては多くの人にあるのではないか。あえて「日本人は」と言う時に、たとえそれが「すごい」にせよ「だめだ」にせよ、まるで自分以外のことを指している感じ。
この後出てくる加藤秀俊や石原慎太郎らはそうした年長の知識人の抱える民衆からの孤立という苦悩を「わからない」と一蹴し、「自分もふつうの市民の一人だ」と述べて批判していく。この感覚の異なりが人によって「市民」とか「大衆」とか「日本人」、「愛国心」といった言葉の使われ方をも違うものとしてしまうのである。
都市と農村を同じ日本とみなすのも1960年代以降のことなのであり、それ以前は都市と農村に明らかな分裂があって、「同じ日本」と言う意識はなかったのだ。
9章「戦後教育と「民族」」では、共通語普及に関する展開を追う場面がある。民族の統一=言語の統一であり、特に共産党では「階級によって異なる国語を持つのはおかしい、一つの民族には一つの言語だ」という主張があった。
敗戦後の指導要領において戦前の教科書暗唱が廃止され日常会話での討論など交互がメインになり、手紙の書き方など実用重視・言語道具説・アメリカ式言語観が打ち出されると、それへの批判が起こる。いわく民族語への愛情を失ったコスモポリタニズムだと。
方言は封建制の産物で、標準語は民主社会の形成になくてはならない、方言を助長するような話し言葉偏重の教育はいかん、というわけだ。むろん今と異なり、地方ごとの経済的な格差が大きく、格差解消と地方言語抑圧が混然としていたという背景があるわけだが、時代が変われば考え方も変わる、と強烈に感じたエピソードである。
11章「「自主独立」と「非武装中立」」において、護憲論者が国民によるレジスタンス活動などを支持し、清水幾太郎が「各人の家に武器があって、僕の家にも一挺の機関銃くらいあるというのなら、日本の再軍備も大いに賛成する」と述べ、丸山眞男が「全国の各世帯にせめてピストルを一挺ずつ配給して、世帯主の責任において管理する」プランを提唱するなど、従軍した人たちは言うことがやはり迫力が違うものである。彼らが言いたいのは「国家の自衛権」を論じる前にまずは「個人の主体性、それに基づく個人の自衛」を論じるべきじゃないのか、ということなのである。現代にそっくりそのまま適応することはできないが、発想としてすごいと思うので、ここにメモしておく次第である。
梅原猛が大学で専任職を得て、家族と天ぷらを食べて幸福を感じたエピソードなど、知識人のエピソードにはいろいろと おもしろいものがある。要は戦争が終わり、自分も生活者なのだ、政治に関係していたのだ、特権階級じゃなくて時代に翻弄させられる一個人なのだ、と痛感するわけで、鼻持ちならないと言えば鼻持ちならないし、素朴と言えば素朴なのだ。
むしろ現代では、生活者たる実感を欠き、政治と自分は関係ないなどと思い込んで過ごしている「大衆」が多いくらいで、隔世の感ありではないか。
まだまだ私たちは長い戦後の直中にいる。「今、ここ」に集中して、何かを見失わないように、長い戦後の端緒を見つめ直すことも大切であろう。