Nu blog

いつも考えていること

原田治展他

芦花公園にある世田谷文学館へ「原田治展」を観に行った。秋である。

原田治。私にとってはミスタードーナツの景品の人である。一人暮らしの時に、母親に持たされた食器の中にそれがあって、捨てられないまま今も持っている。

雑誌の挿絵や広告、ノベルティのような、消費される一過性のデザイナーとしての印象だったが、私が食器を持ち続けているように、原田治の仕事は決して一過性のものではなかった。

例えばカルビーのポテトチップスのあのじゃがいものキャラクターやECCのマークのように、今も、そしてこれからも使われていくであろう大きなインパクトと馴染みのあるアイコンを作り、私たちの生活を豊かにしてくれた。

オサムグッズのかわいさは、今見ても新鮮で、心躍るものがある。

ブックデザインの仕事も見事だ。

原田治の仕事をまとめようという展覧会を開いたことに、感嘆した。素晴らしい展覧会でした。

 

後日、原田治の著作「僕の美術帖」と「僕の美術ノート」を読む。

現代にはびこるペシミズムやデカダンスではなく、健康的で伸びやかな筆致や色使いを評価する姿勢。 原田治の作品につながるものを感じる。

こんな指摘にはドキッとする。

ぼくは十代の頃、抽象絵画に憧憬していました。アクション・ペインティングの時代からポップ・アート、オップ、コンセプチュアル・アートと前衛が進むにつれ、次第にそれらに魅力を感じなくなりました。あまりにそれらは西欧人特有の考える芸術になってしまい、始原から現代を経て未来に直結するところの純粋な芸術的直感から離れてしまったような気がします。さらにサロンを否定して生れた近代芸術が、再び幼稚なスノビズムを反映したサロンを建築しつつあるようです。(『ぼくの美術帖』)

また、日本の美術についてその祖を縄文時代に求めつつ、しかし岡本太郎的な縄文時代の捉え方、つまり「弱肉強食による不安や孤独」「無意識の芸術的形態や美の表現」「弥生土器こそが日本的なものの原型で、縄文土器は異質な美の系譜」とする事には反対する。むしろ

平和でオプミスティック。時にはおおらかなユーモアさえ含んでいるかのようです。自然を、自分とは対立するものとして客観視する姿勢は無かったように思えます。大いなる自然の中に立脚していて、自分自身もその自然の一部である、という無垢な精神のあらわれです。そこには生命肯定的で健康な喜びを感じさせる、何かがあります。原始のおどろおどろしき怨念の気分は見られません。時にグロテスクな力で見る人をして圧倒させるのは、そのあまりにも溌剌とした生命力が、美よりも大きく溢れてしまうせいです。(『ぼくの美術帖』)

として少し異なる角度から評価したりする。

そうした確固たる芸術観とともに、

昭和十八年の木村壮八著『近代挿繪考』を読んでいたら、「鏑木清方雑感」の一文があって、「僕は鏑木さんの傑作は円朝像だと思ってゐる」とあるので思わず居住まいを正して読んだことがありました。そして自分と同じ見方を、自分の好きな画家が云っているので一人感動してしまいました。やっぱりそうなのかといった単純な喜びなのですが、そしてぼくが思っていたところでどうともならないのですが、クイズを当てて世界一周旅行券をもらった人みたいなうれしさでした。(『ぼくの美術帖』)

というように、好きな作家の好きな作品が自分の好きな作品だった時の喜びが綴られる。なんともかわいらしい喜びである。

そうであれば、かの著作の中に私の好きな北園克衛や黒田維理の名前が見えれば、私もまた嬉しい。特に黒田維理の名前。名作「something cool」をあなたは読んだか?

とかく、誠実なお人柄が見える文章に浸った。

ついでに山際淳司の「夏の終わりにオフサイド」も読んだ。原田治がブックデザインをしているもの。八十年代らしい軽やかな筆致、気障な言い回し。それらはとても夏の終わりらしく、涼やかで、何も残らない。サウナ後の外気浴のように、体の芯に火照りを残していくのだった。

 

ちなみに。原田治展の帰りに渋谷のアップリンクで『サウナのあるところ』を観た。

この映画館は独特で、ハンモックのような椅子なのだ。慣れていないので、少し座りが悪い。そして、上映中ちょっと寝てしまった。

フィンランドの人々による、大雑把なロウリュの掛け方がカッコいい。そして、汗をかきながら、泣きながら話す。親がなくなったとか、離婚もか、子供と会えないとか。

二〇一〇年頃のフィンランド。多分私はその頃ノルウェーに行ったことがあるな、なんて思う。まだヨーロッパもガラケーの時代(その一年後にはスマホの時代)。

しかし、もっとも印象的だったのは冒頭、夫婦でサウナに入る夫婦である。「君の背中をもう五十年流してきたね」なんて語りかける。おばあさんの背中の美しいこと。毎日サウナに入ると、あんなツヤツヤになるのですか!

ロビーに貼られていた室木おすしのUOMOの漫画で、「予想と違い、重い映画」「日本における”ととのった”だの”ととのってない”だのいうサウナとの関わり方を恥ずかしく思った」「けど、帰りにサウナ行って熱波のお代わりもらっちゃった」という漫画がまったく正解だと思った。