Nu blog

いつも考えていること

日記

今年のことをちょっと振り返ってみようと思う。

 

3月、2年かけて勉強してきた学芸員、司書の資格を無事取得できた。

博物館、美術館、図書館に対して、これまでも好きだいう気持ちはあったが、より一層思いを強くするとともに、社会施設設置の根拠である法律やその運用実態など、具体的かつ実際的な観点からの関心も高まった。

二つの資格はいまのところ更新のための試験や研修がない。また、仕事上それらの資格を生かすこともない。

なので、これからも自分で関心を持って、古い知識で終わらないようにしないといけない。

なんてご立派なことを思ってる。

 

今年は、それらの勉強時間がすっぽりなくなってしまった一年だった。

埋め合わせるように、正月から読書ノートをつけ始めた。読んだ本、というのをちゃんと記録し、さらにその内容や感想も書き留めておくことにしたのだ。

図書館に毎週通い、先週借りた本をどさっと返して、予約の図書をどさっと受け取った。

読んでメモを取り、感想を記した。それをエクセルへ転記。

読書ノートを眺め直すと、なかなか壮観である。人生で一番多種類の本を読んだ一年だと思う。本好きを自称していた中高大の時、同じ本を何度も読み返すばかりで、実はあんまり数を読んでなかったのかもしれない。

いくつか紹介したい思い出深い本がある。

読書ノートをつけるにあたって、まず読むぞと思い立ったのは小熊英二だ。あの分厚い本たちをやっつけてやると意気込んで、『単一民族神話の起源』、『日本社会のしくみ』『1968』『民主と愛国』『社会を変えるには』『日本という国』を読んだ。偏執狂的な資料渉猟とそこから導き出す大きなスケールの見立て。そしてその見立てと現在の世界との接続、納得感。

ロバート・ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』やポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』も。むろん図書館で借りて、延長しても一ヶ月。その制約の中で読んだから、理解しきれたとは言えないが、読んだ。グレーバーの『ブルシット・ジョブ』や『官僚制のユートピア』も同じく。

そういえば、グレーバーを読むきっかけとなった栗原康を知ったのも今年。『アナキスト本を読む』が目に飛び込んできた。お導きってやつだろう。栗原康はすごい。他の著作もほとんど読んだが、常にトーンが変わらない。『アナキズム』と『菊とギロチン』が最も筆が乗っているように思う。

脱資本主義、アンチ資本主義的なものとしては、斎藤幸平の『人新世の資本論』や鶴見済『脱資本主義宣言』、松村圭一郎『暮らしのアナキズム』、森元斎『もう革命しかないもんね』、マーク・キングウェルの『退屈とポスト・トゥルース』など、良作続々。

そうした理想的なことではなく、現実にアプローチする本としては和田静香さんの『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』が切実だった。和田さんの本から派生して栗田隆子『ぼそぼそ声のフェミニズム』や中村安希『Beフラット』を読んだが、男性による著作と異なり、切実さが強い。追い詰められて、刺し違えざるを得ない、という感覚。ヒリヒリする。

ちなみに和田さんの著作では『世界のおすもうさん』も読んで、これがとっても名作。お相撲にはいろんな形がある。大相撲だけの世界に拘泥して、視野狭く、品格だなんだと言っているのは馬鹿らしくて仕方がないと思わされたし、さまざまな相撲を丸ごと愛したいと思った。ちなみのちなみに、相撲関連では木村銀治郎が『大相撲と鉄道』という奇書を出版している。行司さんになりたいというお孫さんなどがいらっしゃたら読ませてあげてください。

女性の切実さからフェミニズム関連で思い出せば、古典と言われる江原由美子ジェンダー秩序』をひいひい言いながら読んだ記憶。『存在しない女たち』や『99%のためのフェミニズム』、井谷聡子の『体育会系女子のポリティクス』も刺激的だった。フェミニズムにおいては、若い人に向けた本もたくさんあって、堀越英美『モヤモヤしている女の子のための読書案内』や上西充子『呪いの言葉の解きかた』、森山至貴『あなたを閉じこめるずるい言葉』、佐藤文香監修『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた』、富永京子『みんなのわがまま入門』、田中東子編『ガールズ・メディア・スタディーズ』など、どれも大人の思いの詰まった一冊。こういう本を、ティーンエイジャーが読んでくれればいいのだけれど。上野千鶴子鈴木涼美の『限界から始まる』という往復書簡の本もあり、これも世代をつなぐ使命や誠実さがテーマで、打たれるものがあった。

その対となるべき男性学では清田隆之『さよなら、俺たち』や杉田俊介『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』などを読んだが、今一歩届いていないように思う。

小説の世界ではフェミニズム男性学を下敷きに、男が優しくあることをテーマにしたものが見られたように思う、町屋良平『ふたりでちょうど200%』や大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』、佐原ひかり『ブラザーズ・ブラジャー』など、味わったことのない香り。

反対に人間の優しくなさを描く伊藤朱里の『きみはだれかのどうでもいい人』、金原ひとみ『アンソーシャル・ディスタンス』、本谷有希子『あなたにオススメの』もおもしろい。どれも良作だったので、捻くれ者にはこちらを推奨。

9月以降、大崎清夏『踊る自由』からスタートして、近年久しく触れていなかった詩集を読んだ。最果タヒや文月悠光、三角みづ紀から、北村太郎吉野弘黒田三郎伊藤比呂美谷川俊太郎も改めて読んだり。特に黒田三郎はよくて、実感にしっくりくる。一番良かったのは井戸川射子。『する、されるユートピア』はもう、窒息しそうになった。そして短歌では三田三郎の『鬼と踊る』。激賞されているのを見ると、胸がキュッとなります。

その他の衝撃的だった本としてはフィリップ・オーディングの『1つの定理を証明する99の方法』、サリー・ルーニーの『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』、橋本倫史『東京の古本屋』、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』、新井裕樹『まとまらない言葉を生きる』、森正人『文化地理学講義』、大澤夏美『ミュージアムグッズのチカラ』、加藤公太『名画・名彫刻の美術解剖学』、佐藤直樹『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』などだろうか。いい本続々。

ほんとーにここ数年、本を読んでなかったなと反省である。

来年からもしっかり本を読んでいきたい。

 

美術館も活動再開本格化で、いろいろ行った。国立近代美術館の眠り展から始まり、トーハクの日本のたてもの展やサトエ記念21世紀美術館の寺井力三郎、練馬区立美術館の電線・電柱絵画、写真美術館の澤田知子、SOMPOのモンドリアン、ランス美術館展、東京都現代美術館のマーク・マンダース、森美術館のアナザーエナジー展、千葉市美術館の大・タイガー立石展、オペラシティのライアン・ガンダーや和田誠世田谷文学館安西水丸、2121のルール?展、長野県立美術館にマメ・クロゴウチも見に行った。

サトエ記念がやけに記憶に残ってるなあ。何にもない駅の何にもないとこにあるなんてことない建物。しかし寺井力三郎の作品の細かさ、記憶を揺り起こすような抒情性。

千葉市タイガー立石も忘れ難い。こどものともが『とらのゆめ』を再販したのが嬉しくてたまらないです。

来年はフェルメールやメトロポリタン美術展などが話題になるのだろう。予約入場が続くと思うが、それでいいと思う。

あと熊にハマっている。木彫りのクマ。もう二体も買っちゃった。楽しくて仕方がない。気になる人は抽象熊などで調べてください。

 

音楽はあんまり聴かなかったかもしれない。

藤井風の更なる躍進は言わずもがな、Homecomingsや折坂悠太の新譜や柴田聡子の『雑感』が今年のグッとくるものだった。新しい存在を発掘できてないなあと反省である。

あ、そーいえば、ドラマ大豆田とわ子でKID FRESINOやSTUTSがバーンと世に出たのは熱かった。大豆田とわ子、いいドラマだったなあ。

つい先日kirinjiのライブに行った。新アルバムとてもよい。ただの風邪も再会もいい。そしてライブでギターを務めたシンリズム氏がとってもよかった。彼のソロもとてもよい。注目していきたい。

 

仕事ではあまり変わりがなく、つつがない一年だった。10年目の節目だったのだが、いまだに仕事に興味が持てないままで、少ししんどいなと思いつつ、仕事に没入しても仕方がないしななんてことも思う。人生は少しばかり長く、思っているより短い。

白鵬引退については、また別に書きたいと思う。時間がいる。