浪漫革命の「恋は1/2」を聴いた。
リコメンドに出てきたので何気なく聴いてみたら、中華風のメロディにYogee new waves味のある甘めなハスキーボーカルが乗っていて上質。MVもらんま1/2をオマージュし、楽しげなチープ感がハマっている。
というように、ぼーっと観てたらどうも客演してる女の子に見覚えがあって、調べたらやっぱりNiziuのRikuだった。わーお。
というのは導入。本題はその「中華風のメロディ」について。中華風のメロディってのは、まあさっきの曲とか以下に挙げる曲を聴いてもらえばよいのだが、つまり「テケテケテンテン、テッテッテー」ってやつだ(その後ドラが鳴る)。
自分の観測範囲でパッと思いつくものでも、相対性理論の「(恋は)百年戦争」、かせきさいだぁの「カンフーダンス」が挙げられるし、元を辿れば細野晴臣のチャンキーミュージック(特に「北京ダック」か)やYMOの志向したイエロー・ミュージック、そうした文脈を経た星野源などにも似たようなメロディが散見されるように感じる。
「あえての東洋感」とでも言いましょうか。バラエティ番組などにおいて中華料理の調理風景を取り上げるときに流れる音楽は、フジテレビのドラマ「熱烈的中華飯店」のサントラだったりする。
女子十二楽坊なども「あえての東洋感」の代表格だろう。にしても代表曲の「自由」、YMOの「Fire Cracker」だな(当時どう受け止められてたかは知らんけど)。
検索したら「流行曲中華風味」なるコンピ・アルバムがでてきた。ゴダイゴの「モンキー・マジック」とか南こうせつの「上海エレジー」、松田聖子の「上海倶楽部」、ジュディ・オングの「魅せられて」、一風堂の「チャイニーズ・レゲエ」などが収録されている。
言われてみれば「すみれ September Love」もオリエンタル なムード漂う曲だ。
「上海」的なものならくるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」もある。
さて、こうした「中華風メロディ」の起源はなにか調べてみたら「オリエンタル ・リフ」という言葉が出てきた。
詳しくはオリエンタル・リフを調べていただきたいが、発祥は西洋のオペラかアニメではないか、とのこと。つまり、サイードの言うオリエンタリズムそのもの(西洋の想像する東洋)の音なのである。
その後、1970年台のディスコ・ミュージックの文脈から、ダンス・ダンス・レボリューションでもおなじみのカール・ダグラスの「KUNG FU FIGHTING」が大ヒット。オリエンタル ・リフが膾炙され、日本の歌謡界、ポップスの世界でも文字通り東洋趣味を表す音として使われるようになり、今に至るわけだ。
そういえば1981年に、その名もJAPANというバンドが『Tim Drum』というアルバムでめちゃくちゃ胡散臭い東洋サウンドを奏でてたのも思い出してしまった。本国ではさほどたったらしいが、日本では受けたとか。
ちょっと調べてみたら1980年台は「ジャパン」や「トーキョー」「カンフー」といったタイトルの曲が結構ある。全部がオリエンタル ・リフを使ってるわけではないが、どれも共通して胡散臭い。
近年はたとえばThundercatの2017年のアルバム『Drunk』に収録された東京観光の思い出を音にした作品「Tokyo」では、オリエンタル・リフは使われない。ゲーム音楽的な電子音がチラついており、ブレードランナー的な雰囲気がある(歌詞はほぼドラゴンボールのこと…)。
80年台と異なり、これからオリエンタル ・リフはあくまでも80年台のパロディとして使われることだろう。
発祥を考えれば、東洋人が自らのアイデンティティ(出自?)を示すシンボルとして使うわけにもいかないし、西洋のアーティストがあえてこの音を使うと、見当違いな批判(文化の盗用にあたる的な。発祥を考えれば、その批判の意味もわけがわからなくなるのだが…)に晒されるかもしれないし。
というわけで、街で中華風メロディを耳にしたら温かく見守ってやってほしい。コンビニの肉まんのように(オチなし)。