Nu blog

いつも考えていること

消費者でしかない自分を肯定できるか

私の我慢はいつかどこかで報われるはず、と信じたい気持ちはよくわかる。私もそう思う。でも、我慢してるだけで何かが動いたことってない。幼い頃家族や歯医者さんに褒められるくらいのことで、それ以外の人が我慢したことを褒めてくれたりはしない。

そのうちみんな大人になって、やりたくない仕事をやったりし始めると、我慢ばかり重ねることになる。自分の意見はそもそもないし、ふとした思いつきは却下されるし、もう嫌だ、でも明日も仕事ある、みたいな状態に陥る。

そんな時に、昔ならバカにしていたような「自分へのご褒美」が身に染みるようになる。

そこで気づく、「私は消費者なのだ」と。

そこに気づかず、自分を作り手側の世界に属していると思い続けていると、ズレていく。作り手側にいる人は作っている。あるいは、作ったものを金に変えようと、作品のセールスポイントを携えて、営業をしている。そう、あなたの大嫌いな営業を、その世界の人もやっている。

だから、作っていない、あるいは作っても売り込んでいない私たちは、ただの消費者なのだ。

消費者であることを自覚しなけりゃ、いつまで経っても関係者席を羨んでみることになる。

comic-days.com

だから、私はこの漫画に深く共感するし、嫌悪感で胸やけがする。

我慢してても仕方がないのに、我慢してたらそのうち良くなると思ってる主人公。黙っていても私を全面肯定してくれる存在の希求。

誰しもそうだから、道を違えれば、新興宗教や怪しいセミナー、変なYouTuberに引っかかったりする。それもまた人生。

自分で自分のみっともなさやだらしなさ、できなさを肯定し、加えて自分の我慢を自分で適度に褒めそやし、明日が来ることに感謝するのが、恵まれた私たちが送るべき平穏な人生なのではないか。

生まれる場所や時間を間違えば、まったく違った光景が広がっていたかもしれないのに、私たちは平穏無事にここで過ごしているのだから。

そんな曖昧なことを思う。