Nu blog

いつも考えていること

広告

インターネットによる広告費がテレビによる広告費を上回ったそうだ。つい10年前、新聞広告が追い抜かれた時には、いやいやテレビはまだまだメディアの王者だぞ、なんて言われてたのに。十年一昔とはこのことか。隔世の感がある。

内訳を見てみると、動画広告とディスプレイ広告が伸びているわけで、要はYouTubeSNSの隆盛いよいよ顕著ということだろう。

四千頭身の漫才で、漫才途中にYouTubeでよく見る広告が入って中断させられる、というものがあったが、ああいうネタがウケるのは、インターネット広告が当たり前、スタンダード、共通項となった証左なわけだ。

動画広告はCMの延長で作られているからか、さほど異様なアイキャッチは多くないように思う。漫画読めだの、ゲームしろだの、うるせーなーとは思うが、気持ち悪いと思うほどのものはない気がする。五秒で飛ばすからちゃんと見てない、ということもある。

一方、ディスプレイ広告は目につくことを目的としているから、口が臭いだの、嫁には内緒で入れるアプリだの、育成とか交配させるゲームだの、復讐する漫画だの、喧しくて参る。気持ち悪いとしか言いようがない。あれは飛ばせない。目に入っちゃったら最後、もう読んでるのだから、目に入る即被害が生じるんである。 

そう思うと、動画広告ってのは実はあんまり目に入らないように思う。テレビであれば録画したものをみるので、広告は飛ばしてしまう。テレビ広告がインターネット広告に負けたのも宜なるかなという感じである。

嫌でも目に入るといえば電車の広告ではないか。あれはまったくどうしても目に入る。うさんくさい書籍や強迫観念を煽る脱毛、そして職場から一時間半くらい離れたところにある新築マンションの広告。旅行へ行け、結婚しろ、保険に入れ、契約している電力会社を乗り換えろ…。

このコロナウイルスの影響で、消費の大切さはとてもよくわかった。しかし、どこに金を払うかは私が決める。和牛を買おうが、旅行に行こうが、サウナに行こうが、本を買おうが、私の勝手である。広告や政治は黙っていてほしい。

 

と、そんなことを考えていたら、各省庁がコロナウイルス関連予算として、誤った情報への反論などに取り組むための広告費を計上していると知った。

各省庁だけでなく、内閣府においても「戦略的広報費」として「新型コロナウイルス感染症対策や経済対策に盛り込まれた各施策の内容を始めとした喫緊の取組等についての国内広報を実施するとともに、日本に対する信認を高めるための国際広報を実施する」そうだ。100億円。

それに関わっているかはわからないが、さっそく厚生労働省ツイッター上で、「休業補償はある」旨反論を展開している。手続きの煩雑さ、自己申告制であること=外出しなくちゃならないこと、全額でないこと、一部貸付もあること、そういった諸々の問題点を棚に上げた自己弁護には驚きを禁じ得ない。反省とか謙虚とかそういう言葉が死滅している。

さらに(これも上記予算との関係性は不明であるが)、首相による星野源へのタダ乗りが発生。「うちで踊ろう」という苦渋の呼びかけに対して、「友人にも会えず飲み会もできない」ことを嘆きながら暇そうに茶をしばいたり犬と戯れたりテレビを見たりする動画を投稿。踊らんのかい!そして家で暇しとんのかい!とさまざまな苛立ちを生じさせた。

もともとこの動画の「うちで踊ろう」に対しては収入激減により明日をも知れぬ状態に陥っている人たちから「うちで踊れる状態じゃねーよ!」とツッコミが入っていたわけだが、そのツッコミを推し進めるかのような動画である。つまり、「俺の生活に変わりはないよ。なんなら家にいなくちゃならないなんて、とんでもなく暇でつまらんことだね」という謎のアピール。いや、家事の一つもやらんかい!などなどツッコミが分散して弱くなるほどである。ボケを散らしすぎ。霜降り明星を見習って一つのボケに一つのツッコミが対応するようにしていただきたい。

 

あまりにも残念でうんざりした私は虚構に逃げることにした。つまり、『シン・ゴジラ』を見返すことにした。

この映画の世界では、皆が粉骨砕身より良いことをする。なぜなら、霞が関の変わり者、鼻つまみ者、学会の異端児などが人事査定を気にせずゴジラ対策だけを目的に動くから。何にも阿ることがない。

最後のヤシオリ作戦なんて今の政権なら「都内でゴジラを凍結させたら経済への影響が大きい」とか言って実行承認されないでしょ。あるいは自衛隊の武器使用もゴーサイン出せないのではないか。それは市街地での戦闘が市民の命を奪う可能性があるから、ではなく、ただただ日和って何もできない可能性が高い。

総理や官房長官ゴジラ放射線量の微増で会見することもない。関連法案は全然決着つかないだろうし、法案成立前に疎開したらなんの補償も受けられない。

そんな世界が待っている。

 

ハア。人のいないところでため息をついて、家に帰れば手洗いうがいをする。私は平日も出勤する労働者の一人である。