Nu blog

いつも考えていること

スケッチ(青空)

七歳、校庭のジャングルジムに登って眺めた青空。

十歳、日食観察のためにみんなで屋上に上がり、太陽グラスを手に眺めた青空。向こうに広がる行ったことのない町、山。工場から立ち上がる煙。

十四歳、部活で走り回り、こけてグラウンドに仰向けになって目に飛び込んできた青空。土煙りを体にまとい、汗がこめかみを流れる。いろんな声の中から自分の名前を呼ぶコーチの声が聞こえる。早く立ち上がってプレーに参加しなきゃと思う。

十七歳、図書館から出て涼しい風に吹かれ伸びをしたら見えた青空。蛍光灯の下、問題集を解いていた目には鮮やかすぎる青さ。思わず顔に手をかざしてしかめっ面をする。蝉の声が鳴り響く。四六時中腹が減っている私。あの人は今からどうしているのだろうかなどとどうでもいいことがふとよぎる昼間。ギンギンに冷えたポカリスウェットがほしくなる夏。何をしても問題のなさそうな毎日。

二十一歳、大学構内のベンチに座り見上げた青空。誰かが通らないかなと期待しているけど誰も来ないバイトまでの持て余した時間。

二十三歳、昼休みのラジオ体操をしながら見た、窓の外に広がる青空。二十七階から見える東京はミニチュアみたいで、宙を浮いてるみたいな気分。命じられる仕事も少なく難易度も低い。みんな優しく、いい場所に入れたと安心する。これから午後は眠くならないように気をつけないとと思いながら深呼吸をする。

二十八歳、ハワイで眺めた青空。日本の青空とどう違うのかわからないが何かが違う気がする。

三十二歳、築四十年、積み重なって消えない汚れの溜まった事務所から眺める青空。小さな事務所の管理職としてとうとう本社を出た私。机に座って決裁のハンコを押すばかりではつまらなく、たまに作業所を見回っては鬱陶しがられているのがわかる。単身赴任の一人暮らし、帰ってもやることはないし、友達もいない。家族のことを少し思ってからあくびをかみ殺す。

四十五歳、子供の卒業式で見た青空。ガランとした校庭。この日だけ着るよそ行きのブレザー。胸元につけた赤い花。丸められた卒業証書の入った筒。きっと私の筒は実家の押入れの隅に転がっている。

五十八歳、火葬場で見た青空。最近は、煙突から煙は出ないのだと、もう何回も説明したような口調で火葬場の職員が叔父や叔母に話している。看病の荷が下りた気持ちになっている自分に赤面する。

七十二歳、病院の窓から見える青空。何の話だったか、窓に葉っぱの絵を描く話がなかったっけか。暑さも寒さもあまりわからない病室。十日に一度くらい来るお見舞い。孫たちの名前が覚えられない、ということを覚えられない。

 

私は何度も青空を眺めたが、死ぬ時にこれらすべての青空を思い出すことはない。思い出すことなど何もない。