「この先揺れますので、つり革へおつかまりください」というアナウンスと同時に、隣のおじさんも私も体を揺さぶられた。
次の駅で座れた私は、降りるまでの十数分、目を閉じて仮眠しようとした。いつも堰を切ったように駆け込んで、血眼になって空席を探すおじさんが視界の端に映った。怖い。
車内に人が充填され、私の前にも人が立った。
「この人、昨日、記者会見に出ていた人だ」とすぐに思った。似ている人じゃない。この人だ。なぜか妙に覚えていた。
社長じゃない。一番画面に映っていた人ではない。机の端に座って、社長の説明が言葉たらずだった時に補足説明をしていた担当役員だ。
その会社は、ある社員の自殺をきっかけに、過剰なノルマやパワハラの横行、サービス残業などが発覚・報道されていた。社長はそれを、ある特定の支店における問題であって、会社全体で指示していたり、自分が知っていて容認していた事実はないと言い張っていた。
「社員の自殺については大変心を痛めている。もしパワハラやサービス残業といった事実を知っていたら、社長として止めないわけがないし、知っていて見逃していたとしたら、こうして会見など開くことすらできないですよ」という開き直った態度が、ニュース番組のコメンテーターの不興を買っていた。
私もその理屈はよくわからないと思った。悪いことをしていた人間が謝れるわけがない、ということはないだろう。
私は、つり革を握り、目を瞑るその人の顔をそっと窺い見ていた。
私と同じ電車に乗っていたのか。この人にも生活があったのか。家を出て、ランドセルを背負った子供とすれ違い、見送る保護者たちや落ち葉を拾い集める清掃員に会釈し、地下鉄へ階段を降りたのか。
あなたは本当に社長の言うことが正しいと思っているのか。
質問をぶつけてみたくなった。スマートフォンのカメラでこの目を瞑った様子を撮って、SNSにアップロードしたら、と思った。
ゆっくりと電車が止まった。「車両の間隔調整のため、しばらくお待ち願います。お急ぎのところ大変申し訳ございません」というアナウンスがあったが、またすぐ動き始めた。