稀勢の里が引退した。
おつかれさまでした。
ただの一好角家でしかないけれど、少し書きたい。
新横綱で初優勝してから怪我と戦った二年弱は、それまでの十五年間よりも長く感じたことだろうと思う。
この二年について、いや、その前の一年間綱取りをし続けた二〇一六年も含めた三年間について、特におつかれさまでしたと言いたい。
引退は早かったのか遅かったのか、そんな議論が喧しい。
希望を捨てず、怪我の治癒に専念し、真に万全な状態で再起させてあげられなかったのか、という意見もあるだろう。
しかし、引退会見において、その言葉が本当か真意は定かではないものの、稀勢の里は自身の場所前の状態について問われ、「怪我をしてから一番いい状態だった」と述べていた。
高安との稽古でも、豊ノ島・琴奨菊との稽古でも、本人の口から調子の良さが語られていたことから、まったくの嘘や強がりではないものと私は受け取っている。
であれば、周囲が勝手に「もっと怪我の治療に専念させてやれよ」などと言うのは変だ(むろん、次の場所に進退をかけろなどと人の状態を汲まずに頭ごなしに言うのも変)。
横綱だろうがなんだろうが、自身の行いは自身で決めるものだろう。
つまり、「調子が良い」と思いながら臨んで、結果良いところなく三連敗したのであれば、もはやこの先に怪我の治癒も何もないのではないだろうか。と私なんかは冷たく思う。
現役を続けていれば、何があるかは分からない。もしかすると来場所、あるいはもう少し先に、完全復帰できたかもしれない。
可能性の話としてならば、いくらでも言える。
ただ、三連敗とそこに至る過程を思うと、そんなことは起こりえない、妥当な引き際であった、と私は思ってしまう。
引退となった今、今さら悲劇の横綱のように言われていることをどうも奇妙に感じるので、少し厳しいものの言い方をしているのかもしれない。
私としては稀勢の里はもう特別なんだと自分を納得させているのだが、大関と横綱に昇進する際、その昇進基準が緩和されたことは間違いないことだ。
その「贔屓」の基となったものに「日本人」であることが横たわっていたことは否定できないだろう。
モンゴル人に対比させた形での日本人アイデンティティを、勝手に背負わされた稀勢の里のことを可哀想に、とは思うがそれを拒否しなかった点については批判したい。
白鵬らがモンゴル人であることを問われ答え続けているのに対し、彼は日本人であることを問われても何も答えず、むしろその利を得ていた。
ちょっとズルいんじゃないの、と思う。むろん、問うた人あるいは利を与えた人にこそ非があるのだが。*1
贔屓の結果横綱になったんだ、と糾弾したいわけではない。周囲はもっと稀勢の里を信用して、基準を満たすまで待ってやればよいのにとは思うが。
とにかく稀勢の里の相撲は魅力的だった。稀勢の里は特別だった。
それでいい。私はそう思うことにしている。
彼が横綱の名を汚したとか、そういうことは一切ない。期待、人気、実力、様々なものを背負って、二年間横綱を務めた。すごいことだと思う。
ただ、稀勢の里は言葉を発さない力士であった。
引退会見においても稀勢の里の口は重く、感情漲る言葉はなかった。涙があっただけである。
相撲取りは土俵の上で、という意識からあえて言葉を多くしない、そんな指導があったからであることは理解する。
土俵外、メディアのないところでは気さくな人柄でよく話す人だと評されていることも知っている。
しかしながら、あまりにも言葉がないのではないか。
私にとって魅力的な相撲取りというのは、相撲を言語化することで、自身の血肉としている人だ。白鵬などがその代表で、言語化できるがゆえに強い。
外国から日本に来た力士の多くは、まず何を指導されているのか言葉を理解することから始まると聞く。そのため、相撲を言語化することが習慣化されているものと思料する。
一方、日本語を母語とする力士の多くは、何を言われているのかが自明なこととして相撲に取り組むため、言語にすることが下手なのではないか。あるいはすべきではない、と口を閉ざしてしまっていないだろうか。
相撲は大きな一つの物語である。メディアを通じて作られてきたリアルとフィクションの入り混じった幻想物語だ。
であるから、力士は語るべきである。
無数の言葉が土俵の上で無になる様を、私たちはその四方から見守っているのである。
できれば、これからの稀勢の里には、自身の相撲観を言語化していってほしいと願う。それが後進の育成にも、相撲の発展にも繋がるものと私は思う。
場所前、豊ノ島・琴奨菊との稽古が終わってから、「相撲は楽しい、辞められない」と言ったと聞く。
相撲を楽しいと、そう思ってしまったことが相撲人生の終盤を意味していたのかもしれないと思うと、沈鬱な気持ちになる。
この出来事こそ、相撲の物語らしい言葉を持っているように思う。
荒磯親方(元・稀勢の里)の活躍を祈る。