土俵上で挨拶していた市長が倒れ、女性が救護に駆けつけたところ「土俵から女性は降りる」ようアナウンスされた事案について。
件の動画を見れば、当初、倒れた市長を男らが取り囲んでいるのだが、彼らは不思議なほど何もせず、うろうろ突っ立っているばかり。担架を待っているのだろうか。そこに女性が駆け寄って心臓マッサージか何か、処置的なことを始める。しばらくして「女性は土俵から降りてください」のアナウンス。会場内からはどよめき?笑い声?といった反応が起きた。
私の感想は、「そーいや、土俵周りって医療関係者を配置されてないな」である。これは巡業に限ったことではなく、本場所でもそう。アクシデントが起きた際、いの一番に駆けつけることを任ぜられている人がいない。体重100キロ〜200キロ同士が当たり合う危険な競技において、この危機管理体制は甘すぎる、と今さら気づかされた。他競技であれば、そんな体制あり得ないだろう。
私の記憶では、立ち合いに脳震盪を起こしてへたり込んだ力士もいたし、靱帯を断裂した力士もいるし、骨折した行司や審判の親方もいる。
土俵上から転倒した力士が砂かぶりのお客さんに突っ込む場面も多い。
土俵周囲には絶えず危険、リスクがある。にもかかわらず。
脳震盪を起こそうが、靱帯を断裂しようが、医師が駆けつけることはない。
まずは自力。自力でとりあえず徳俵まで戻り礼をした後、呼出しさんの肩を借りて土俵を降り、花道を戻って、そしてようやく処置室へと移動する。よほど足の怪我であれば巨大な車椅子が迎えに来ることもあるが、その判断はたぶん本人の申告である。処置室に戻るまでの間、医師の判断はない。「がんばれ」という掛け声だけの世界である。
よくよく考えなくても、割と頭おかしい。
ずっとその光景を普通だと思っていたけど、他競技ではあり得ない光景だ。
そうした危機管理体制のずさんさだけでなく、女人禁制の問題がまた浮上した。
かつて大阪の太田市長を土俵に上げなかったことで女人禁制が話題になったわけだが、相撲協会というのは黙って耐える組織で、世間が根負けして忘れるまで黙って耐える。なので、事が起きれば再燃するし、たぶん黙って耐えるのみである。
ちなみに、地方のわんぱく相撲で優勝したら国技館での決勝大会に出られるのだが、女児が優勝した場合、出場できないと言う。
結論。
明らかに無意味、不毛、ナンセンス、無価値な風習であるから、やめたらいいと思います。
終了。
女人禁制に限らず、外国人は1部屋1人とか、親方になるには日本国籍でないとダメとか、親方株とか、問題は山ほどあるのに忘れられるまで放っておくスタンスをやめてほしい。解決する気が見えないので腹立たしい。
しかし、今回の事案を受けて「相撲は国技にふさわしくない」などとのたまっているのを見ると笑っちゃう。むしろ、この問題放置体質、差別温存姿勢はまったく日本らしくないですか。
マトモな国家としての日本が存在しないようにマトモな大相撲などというのも存在しないのが正しい。
私は最近そう考えることにしています。おかしな世界でおかしなことが起きて、何が不思議なんですか。不思議と思う方が不思議です。ディストピア…。
最後に。
塩をまいたということも一つ問題視されてるみたいですが、各人の「穢れ」や「清め」に対する感覚を考えた方が良いのでは。この社会の中で「塩をまく」行為に対する敵愾心みたいなもの、病や死に対する恐怖心がむやみに増大してるのだとしたら、嫌なことだと思う。適切な恐れに対し、私たちは塩をまくなどの行為で一つの対処をする。それを否定して「病を穢れだというのか!」などと批判するのは、正しく恐れていないことの証左ではないでしょうか。
(「女性が土俵に上がったから塩をまいた」とは思わない。その理由で塩をまいたってことはないと思う。なぜ?と言われたら、なんとも言えないけど、動画を見た感じ、あのナチュラルな塩のまき方は「一旦中断したし、とりあえずまいとく」感じだから、としか言いようがない。ま、塩まいた人にどういう理由でまいたか聞くしかないっすね。)