中学生の時、ボイジャーというあだ名のクラスメイトがいた。
あだ名の由来は英語の教科書である。
であるが、英語の教科書と彼とがどのようにつながっているのか、私は知らない。
なので、私や周囲の人間は彼をボイジャーとは呼ばず、名字で呼ぶようにしていた。
周囲へのささやかな反抗である。
しかしまあ本稿においては、便宜上彼をボイジャーと記載することとする。
ボイジャーは大柄な男性だった。いかつい顔立ちだったので、怖い印象だった。
無口だった、というか、たとえば私のようなかしましい人間が多く、彼の思う通りに話すタイミングがなかっただけかもしれない。
そんなわけで、私はあまり彼の考え方、考えていること、反応、その他色々な基本的な情報を何も知らない。
私は大抵人を馬鹿にしたところがある、とよく言われる。だから、彼に対して限ったことではない。損したなあ、と今更悔やむ。ボイジャーだけでなく、もっと人に興味を持っておけばよかった。どうも若い頃の自分は尊大で、重要な情報を逃しがちであったと最近よく思う。
大学生になって、ボイジャーが女の子と話している姿を見かけたことがある。
男子校だった私(たち)は、ボイジャーが女の子と話すことがあるなんて夢にも思っていなかったし、また女の子が顔のいかつい男性と話すなんてこともにわかに信じがたかった。
全く勝手な妄想である。
私(たち)は女性と話すことを大変なことと思っていたのだった。
なんだか歪んだ人間感である。
ボイジャーが今どうしているか、私は知らない。