随分前になるが(東京マラソンのやってた雨の日)、川島小鳥と藤代冥砂が広瀬アリス・広瀬すず姉妹を撮った写真展をやっていると聞きつけ、観に行った。
藤代冥砂と言えば、「月刊」シリーズももちろん、私の中では「最前線」である。「vol.1」とあるが、私の知る限り「vol.2」はない。
目線鋭い相武紗季がこちらを睨み、表紙には石原さとみ、宮崎あおい、白石美帆、若槻千夏、市川由衣、佐藤江梨子といった男子高校生垂涎のラインナップに加え、リリーフランキー、アンダーカバー、GLAYといったよく分からないラインナップ、さらに雲取山、浅草サンバカーニバル、松井大輔、ラダックの馬などが混迷を深め、中を見てみると上記グラビアは素晴らしいのだが、時折意味不明に「戦争を止めろ!」とかすごくわけわからん漫画とかもあって、強烈だった。
いずれにせよ、藤代冥砂の撮る女優たちは、水着などになって肌を露わにしているわけではないのに、テレビで見かけるそれとは違って、強烈な官能性を備えたヴィーナスのようだった。
川島小鳥は二〇一一年、大学生になってから名作「未来ちゃん」で知った。
被写体を鮮やかに、可愛らしく、存在感を高めて見せるその手腕にはとにかく悶えさせられた。かせきさいだぁという、言ってしまえば「ただのおっさん」を、(むろん元来本人にその要素が備わっているのであろうとは言え)チャーミングに写し出す。
両人とも、「あ、これは」と思ってクレジットを見れば、大抵彼らなのである。それほど、写真における「文体」が確立されている。
そんな二人が、当代きっての人気女優であり、姉妹である広瀬アリスと広瀬すずをどのように写し取るのか、期待しかないではないか。
加えて、私の関心は広瀬すずに多くあり、「ちはやふる」「チアダン」「SUNNY」で見せた青春の象徴のような姿も、「海街diary」「怒り」「anone」などで見られたシリアスな姿も、すべてが輝きをまとっていた。「本人の望むと望まざるとにかかわらず、人の前に立たざるを得ない」才能を持たされた人間なんじゃないかと思う。
最近この「望むと望まざるとにかかわらず」というのが自分の中の一つの判断基準にあって、たとえば宇多田ヒカルや小沢健二などの軌跡を見ていると、ある時期を境に「本人は出たくないのに」出さされる時期があるように思う。
売れてしまうとビジネスが絡むからだ、と言われてしまえばそれまでだが、売れるために苦節何年がんばった人はそこで尻込みしないだろう。
どちらかといえば、これは私の気質に過ぎないが、「望むと望まざるとにかかわらず」な人の方に、強い羨望と当てのない共感を抱いてしまう。
さて、写真展はどうであったかといえば、広瀬姉妹、両写真家云々の御託は消え去り、男子高校生らしき二人、三人連れが頬を赤らめつつ、互いをからかいつつ、美しき写真に見入ってる姿が最も印象に残った。
なぜなら、彼らの姿はいつかの私、だからである。