Nu blog

いつも考えていること

最近読んだ本

平尾昌宏『ふだんづかいの倫理学

専門家ではないので粗探しも何もできないが、とにかくホッとする一冊である。作者と対話している感覚を持たせてもらえる、優しい本。なんだか疲れてるなとか、何に対してかはわからんがモヤモヤしてるなという時に、なんの答えも与えてはくれないけれど、全ての問いに対する補助線を与えてくれるのではないだろうか。

生まれた場所の言葉なら、文法を習わなくても使えるようになりいます。文法は、その言葉を知らない人が学ぶためのもので、もうその言葉を使える人にとっては意識しないものです。倫理もそう。すでに倫理を身につけた人たちは、あまり意識しない。でも、言葉が普通に使えて知恵も、ときどき「あれっ?」と思うことがあります。間違った言葉の使い方をして、人に直されたりとか。そういうときに必要になるのが文法。それと同じで、道徳に関しても「あれっ?」とおもうことがあって、そういう場合に必要になるのが倫理学

経営学は会社を経営するのに役立ち、医学は病気を治すのに役立つ。でも、経営に関する知識は会社を経営しない人にとっては役立ちませんし、医学の知識はお医者さんには役立っても、ダムを造るのには役立ちません。つまり、いわゆる「役立つ知識」というのは、何か特定のことには役立つけど、実は他のことには役立たないのです。では、倫理学はどうか。倫理学だけを学んでもダムを造ることはできませんし、病気を治すこともできません。でもダムを造るのも病気を治すのも、会社を経営するのも、科学の研究をするのも、全部人間のやることです。そうである以上、そこにはどうしても倫理が関わります。

正義、愛、自由をさらに4つずつに分け、何か問題に遭遇したらそれを手引きに分けていけば良い。社会学や哲学における「分類」の発想がよくわかる本であり、社会科学の役立たなさ(褒め言葉!)の本である。

 

やけのはら『文化水流探訪記』

雑誌の連載をまとめたもの。七年に渡る連載であるが、眼差しに一貫性が感じられる。

それは「水流」という言葉に象徴されるように、文化のつながりであり、流れである。時にはタイトルのみ作者と作品名が載せられ、内容には一切触れられないことさえある。

なぜか読みながら中島らものエッセイを思い出した。中島らもも文化の流れを大切にした人である。

望むと望まざるとにかかわらず、人の営みは文化である。つまり、知らぬ間に私たちは水流の中にいる。見分けのつかない一滴として、私たちは淀むことなく上から下へ摂理に従い流れてゆく。いつか気化して雨になる。

 

山口瞳『礼儀作法入門』『続 礼儀作法入門』

やけのはら氏の推薦を基に拝読。1990年代はまだ、こういう昭和口語体とでも言うのか、家では浴衣でくつろぐタイプの親父さんの話し方みたいな文体が割とあったように思うのだけれど、2000年代以降見かけなくなった。たぶん原稿用紙にガリガリ書くタイプの文体なんだろうな。キーボードで打っていては、そういう文体にはならないのかもしれない。山口瞳氏が言っていることは詰まる所一つ。それを基にシチュエーションごとに変奏しているだけ。つまり、「型を知って型を破る」である。マナーを知りつつ、相手に合わせてマナーを破る。これが粋ということ。九鬼周造の「いきの構造」が同じことを示していたので驚きなないものの、エッセイという変奏を楽しむわけである。夏休みに暇してる中高生におススメです。