定期入れをずいぶん前から出してしまう時がある。
たとえば地下鉄の入り口で、改札口までこれから三本ものエスカレーターを乗り継ぐというのに早くも、とか。
たとえば電車を降りる前から、なんとなくもう手に握ってしまったり。
いつもではなく、ふとした折に、自分のそんな行動に気がつく。
「あたしンち」というアニメを思い出す。あたしンちの父はずいぶん早くから定期券を取り出してしまうタイプだった(という回があった記憶)。
定期券を手に持ったままホームを横切り、エスカレーターに乗り、階段を登って、ようやく自動改札機に通す。
思えば、その頃の定期はぺらぺらの磁気カードで、切符と同様に自動改札機を通すものだった。
それより昔の、駅員さんに見せる紙のものではなく、今のICカードのように自動改札機にかざすものでもなかった。
だから、定期入れを取り出した後、さらに定期券をも取り出す必要があった。
今振り返ればそういう動作は、ある一定の時期にしか存在しなかったのかもしれない。
一方で、直前になってようやくカバンの中を漁ることもある。
慌てながら、こけるようにして改札口を通る。
もちろんちょうどいい時に、定期入れを取り出すこともある。
そんな時私は、もはや定期入れを取り出していたことにさえ気づかない。
もしかして、ちょうどいい時ばかりにちょうどいいことをやっている人がいたら、人生が過ぎていたことにさえ気がつかないかもしれない。
長い時間準備したり、直前になってからもたついたり、そしてそんな自分に気づいたり。
そんな日も悪くはないと思いたいが、できれば多くの物事がすんなりと運んでいけば楽なのに、とやっぱり思う。