街を歩いていると、W先生の匂いがする時がある。
それはたいてい、女性の香水の匂いな気がする。
W先生は男性だった。私が小学校一年生の時の担任の先生だった。
たぶん、当時30歳になるかならないか。私の今の年齢くらいだったんだろう。
ダブルのスーツなんか着て、小学校の先生らしからぬダンディな人だった。
そんなダンディな人でも、「ワニのわ、カエルのか……」なんて、子どもに向けた自己紹介をしてくれたことをよく覚えている。
恥ずかしいとかバカバカしいとか、そういう自意識を微塵も見せずにやり切れるのだから、小学校の先生というのはすごい。
学校の先生になりたいなんて思ったことがない。
今日教えたことを、彼らは大抵一瞬で忘れ去り、そのくせつまらぬことはようく覚えたまま、何十年か後にいきなり大人になって目の前に現れたりする。
感謝したり恨まれたり。理屈や損得のない、ウェットな感情が行き交うのかと思うと、全く踏み込める気がしない。
W先生がどんな人生を経て私の前に現れたのか、私は知らない。
教育学部を出て、就職した先がたまたま、あの学校だったのだろうか。あるいは、一度別の学校に就職していて、転職あるいは異動があったとか。実は数年文科省とかに出向していたことがあったりしたかもしれない。
そもそも小学校の先生になったきっかけは、自身の小学生の頃にとてつもないことがあったとか、何かそういう小学生にまつわる重大なエピソードがあったりするのだろうか。
W先生は結婚してなかったような記憶だから、もしかすると夜は三宮でデートしたりしてたのだろうか。休日は何をしてたんだろうか。
私の周りに、小学校の先生になった人はいない。
しかし世の中には小学校の先生がたくさんいる。
先生一人一人にそれぞれの生活があるのに、生徒はみんな先生を先生だと思って、生活があるなんて思っちゃいない。
しかし先生は先生をやってくれる。生活なんてないようなフリをしてくれる。
先生であることに耐えられる、先生たちは偉いなと思う。
そういえば母方の祖父母は高校の先生だった。
しかし、私にとっては、すでに定年していたこともあって、嫌味なおばあちゃんとお酒を飲み続けるおじいちゃん、でしかなかった。先生らしいところはちっともなかった。
生徒に慕われている姿を見たことがある、と母親が言っていたことがある。教壇に立って授業する姿の写真を見たことがある。
かつて先生だった人。
先生になる人生があったのだろうか。もし、私が先生だったら…?
そういえば少しだけ中学生を教えたことがある。
母校の中学生を相手にした家庭教師みたいなものだったので、「O先生はこういう問題出すねん」などと適当な授業をしていた。
教えることはどうにも好きになれず、楽しくなかったが、何人かの生徒らは親しくしてくれたので、二年弱勤めさせてもらった。
成績が悪くて部活に行くことを禁止されたり、先生と喧嘩した敬意を熱心に語ってくれたり、友達と上手くやれてなかったり。悩んだことない中学生活を送った私は、困惑させられっぱなしだった。
書いていると、おぼろげながら顔が思い浮かぶ。元気にしてるかなあと形式的に思ってみるが、しててもしてなくてもどっちでもいい。
あの時のように、惑い続けているとすれば、助けてやりたいと思うが、きっといっちょまえの顔して、繁華街を飲み歩いたりしてるに違いない。
私がそうであるように。