Nu blog

いつも考えていること

極端なことはあんまり良くない

四月三十日、連休最中に話題の映画「主戦場」を観に行った。
日本と韓国の間でくすぶり続ける慰安婦問題について、その論争の中心的な人物らへインタビューした作品である。
「中心的な人物」とは、これがなかなか面白い。というのも、櫻井よしこケント・ギルバート、テキサス親父(トニー・マラーノ)、杉田水脈ら「保守」論客が勢ぞろいしているばかりでなく、それに反対する立場として歴史学者の吉見義明、女たちの戦争と平和資料館の渡辺美奈、また韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャン…とこちらもたくさんの人間が出てくるんである。
私は慰安婦問題の専門家でもなく、新聞や雑誌、あるいはネットで見かける程度しか知らないわけだから、この他にどれほどの専門家がいるか知らない。本来ならあの先生が出ていないとおかしい、とかこの人の話も聞かずに慰安婦問題の何を語ろうというのか、などという批判もあるだろう。
というか、ケント・ギルバートらはこの映画に対して、そういった批判を繰り返しているようである。
 
はてさて、いろいろとご意見はあるだろうが、結論から言って、この映画は途中迷走しつつも、大抵穏当な結論に落ち着いているのではないだろうか。
つまりは、「極端なことはあんまり良くない」ってことである。
慰安婦の数が二十万なのか、五万なのか、はたまた四十万人なのか。その数の議論は、両派閥ともその根拠も発想も曖昧なままだし、強制性についても、鎖につなげて逃げられないようにするのを強制というのか、大金をもらっていたら強制でないというのか、いくらもらっていたら大金と言えるのか、たまに息抜きのレクリエーションが開催されていたのならば強制でなかったと言えるのか、どの程度の嘘に、誰がついた嘘に騙されたら強制だったと言えるのか、互いの認識はまったく合っていない。
でもまあ、結局は「二十万人なんて嘘の数字だから、こんな問題はなかった」なんてのは極端だろう。多かれ少なかれ、戦争という常軌を逸した事態の中で、過酷な環境に置かれた被害者がいる。国家の責任がゼロということもないし、無限にその責任を負うこともできない。とはいえ、人生を狂わされたことに対して、妥協もクソもないのだから、誠意を持って対応するしかない。
そんなところが妥当なのではないか。とにかく互いにエスカレートするのは良くないよね、という。それが本件にかかる深い知識のない私の感想なのである。
 
にしてもいきなり「保守」論客を「修正主義者」と呼んで紹介したのには驚いた。私の記憶では「(監督のことを)「反日」と呼ぶわりに、取材を受けてくれた」と紹介していたが、その後ケント・ギルバートらは「もともと監督のことは知らなかった」「大学院生としか知らなかった」「内容も中立的なものになると聞いていた」と憤っているようであり、まあ、それも宜なるかなという気がする。
こういう、些細なところに食い違いがあると、やっぱりハメラレタ側は内容云々よりそこを突っつくので(まあ、それがつまりさっきの「四十万」とか「二十万」とかそういうところにもつながるわけだが)、残念だなあと思う。
初めて雑誌の「正論」や彼らの出るYouTubeを観たのだが、案の定、内容云々よりもそこばかり憤っていた。なんだかなあ…。どうせ反論するのなら、取り上げられた具体的な証左に対して、反論してほしい。確かに彼らの言う通り、保守側は否定されて終わっちゃっている内容なので、じゃあ、ちゃんと一個一個反論してってよ、という感じ。
 
などとまじめに書いてきたけれども、正直、大変笑った。
特に杉田水脈がめちゃくちゃなことを言うところや、テキサス親父のマネージャー(?)のフェミニズムに対する(ありがちな)誤認識とか、櫻井よしこのしらを切る様子とか、新しい歴史教科書をつくる会藤岡信勝が「国家は謝っちゃダメ」論とか。
そして最後に黒幕として紹介された加瀬英明のおとぼけ感。
 
そうそう。この映画、途中から日本会議憲法改正へとお話がスライドしていく(先に迷走と書いた部分はそこだ)。
たぶん、めちゃくちゃ間違っているわけではないけれど、完全に正解なわけではないから、すごくはらはらしてしまった。
どちらかといえば、日砂恵・ケネディという、「元修正主義者」の話が結論で良かったように思う。それはつまり、慰安婦問題をなかったことにしたい人というのは、その問題を突きつけられると「自分が悪者になった気分」になるというものだ。
「日本はそんな悪い国じゃないんだ」と主張することで「自分は悪い人間じゃないんだ」「なぜ責めるんだ」と憤っているにすぎないのだ、と。
 
「黒幕」加瀬英明は「なんでそんなに慰安婦問題みたいなつまらないことにこだわっているの?」と真にわからないんだ、というような顔をして言う(そのほかにも「日本が戦争に勝ったから、アメリカの黒人公民権運動が起きた」みたいなとんでも発言もするのだが)。
その感覚が日本人の大多数、つまり「普通」なのかもしれない。
しかし、実際には被害者がいて、「つまらない問題」などと一蹴するのはおかしい。そのことを念頭において、日本という国が慰安婦問題に向き合えれば、ようやく前進するように思う。
むろん、それが日本人全員が毎日毎日謝罪しなければならない、とかそういう極端なことになるわけでもない。