無政府状態よりは国家があった方がいい。
国家が拡大することは避けた方がいい。
シンプルに言えばそういう本であるが、中身は諸権利にかんする割と細かい考察などを含むので素人な私の読みでは理解しきれないことが多かった。
無政府よりは国家があった方が良い、となる理屈が、結局それぞれ保護協会を設立し出して互いの諸権利を侵害し合い、結果寡占状態になるからなのだが、そこが結構どうなんだろうって思う。カントやルソー、ホッブスやロックなどヨーロッパがこれまで考えてきた国家の起源で、つまり、0からやり直しても結局国家あるいは国家的なものと契約せざるを得ない、という帰結なのだ。
『生き延びるための思想』で徴兵制に対して上野千鶴子は「私はそこまで契約した覚えはない」と堂々と跳ね除けるわけだが、私にもその気持ちがある。
契約に依らない連帯を主とするような政治体制、それを政治体制と呼べるかは疑問だし、へたに道徳や倫理を求めだすのも嫌だ。こういうのをノージックは「ユートピア」(だから最小国家で実現する)と呼ぶのかもしれないが、しかし、最小国家が樹立されてもそいつは必ず増殖を始めるのだから、原理は別としてノージックの議論もユートピア思想のように思える。
無政府主義とリバタリアンとミナキズムと、小さな差異に見えるだろうけど、かなり違うなあと感じた。
二つほど気になった論題があったので取り上げる。本題とはあんまり関係ないものである。
・嫉妬に関する議論
p393-405「自尊心と平等に関する議論」がある。
|*|*相手がそれをもつ|*相手がそれをもたない|
|*自分がそれをもつ|*1|*3|
|*自分がそれをもたない|*2|*4|
というマトリックスを描いた時、
嫉妬深い→4>3かつ2>4
羨ましがり→3=>4かつ1>2
出し惜しみ屋→3>4かつ1>3
意地悪→3>4かつ1>4
競走好き→4=1かつ3>4
という図式が成り立ち、さらに、
競走好きは出し惜しみ屋、
意地悪も出し惜しみ屋、
嫉妬深いが羨ましがり屋でない人はいる、
ほとんどの羨ましがり屋は嫉妬深い、
意地悪な人は嫉妬深い、
という命題が成り立つらしい。
いずれにせよ、言葉を話せることに自尊心を得る人はいない。人は自分を動物と比べても自尊心を得ないからだ、とノージックはいう。
あるいは、選挙権があることで自尊心を得る人もいない。しかし、それは選挙権が広く分配されていないときにはそうではなかったかもしれない。
自尊心の基礎は差別化であり、準拠集団は、つまり誰と比べるかは、変化する。
そのため、「簡単で自然な過程をいくつか行えば、嫉妬保存の原理さえ導けるかもしれない」とさえノージックはいう。
だから、自尊心の格差の回避には社会が「諸次元の共通のウェイトづけを持たないこと「様々な次元とウェイトづけの多様に異なったいくつものリストを持つこと」だという。
中央集権化されればされるほど、その次元が自尊心の基礎となり、自尊心の格差が前面に押し出される。
金持ちが良い社会なら、お金を持たぬ人はお金を持つ人を羨む。しかし、お金以外の尺度もあるから、たとえば容姿の良し悪しでもって、俺は金は持たぬが顔は良いなどと自尊心を持てる。金も持たず容姿も悪い人がいても、しかし俺にはかくかくしかじかがあると誇れればそこに自尊心を持てる。多様な価値観が自尊心の平等を保障するのである。
・選挙に関する議論(p447-449)
「なぜ、恵まれない方の五一パーセントの選挙民は、恵まれた方の四九パーセントの負担によって自分達の立場をずっと改善するような再分配政策に投票しないのか」とノージックは問う。
たしかに、ここ日本社会でも自民党は経団連、つまり資本家たちを優遇するばかりなのに支持され続けている。なぜか。
「下の過半数における組織、政治手腕、等の欠如に言及してみても適切な説明にはならない」
野党がだらしない、はここ数年言われてきた常套句だが、それは棄却される。なぜならば、上の五一パーセントがあることに気づけば、パズルが解けるからだ。
つまり、中間の二パーセントの支持によりどちらの政策が採用されるかがかかってる、ということであり、上の四九パーセントは中間二パーセントの支持を買い付けられるが、下の四九パーセントはその二パーセントに与えられるものがない。
「上の四九パーセントは常に、下のグループが提供するより少しだけ多い額を中間の二パーセントに提供する」のである。
むろん、これは比喩的な理屈で、実際には二パーセントよりおおきな中間グループがいて、彼らが上からの投票連合の受益者になる。
下から与えられる利益より少し多めの利益を与えておけば、支持が買い付けられる。リーズナブルだ。上位層は下からの投票連合を解体しようとしたり批判したりして構う必要はない。
「民主主義的選挙で政策が決まる社会は、その再分配計画が中流階級に最も利益を与えることを回避するのが、困難」なのである。
民主主義のくだらなさをこう喝破されるとは思わなかった。