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いつも考えていること

ぼやけた主語

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この天声人語が気になった。
書き手によれば、といっても小林秀雄を援用してだが、政治とは以下のようにあるべきだと言う。
政治とは「事業」である。みんなで社会を作り、うまく生活していくための方法にすぎない。「私の人生観」という講演では、政治は「一つの能率的な技術となった方がいい」と語っている。誠に実務的、散文的な政治観だ。となれば英雄は不要。政治家は「社会の物質的生活の調整」にあたる技術者であればよい。
政治家による調整と官僚による手続。
分かりやすいシステムだ。
民主的に選ばれた政治家は「調整」、つまり真ん中を定める。
政治家の決めた真ん中に沿って、官僚は実務的に物事を進め、真ん中を実現する。
真ん中を定めること、それ以上の役割を政治に担わせない。
政治の限界を見極めることは重要だから、この発想自体は悪くない。
 
戦後70年、政治の役割、限界を定めることが求められるように思う。
その一つが、先日閣議決定され出された「安倍談話」ではないだろうか。
 
「安倍談話」の重要な点は「主語をぼかしたこと」、つまり首相自身の意見を直接表明しなかった点にある。
この意見の出し方はいわば「真ん中」取った、上手いやり口だ。
上記天声人語の書き手からすれば、求めていたような合理的な判断と思われるが、朝日新聞紙上に特にそう言った記載はないどころか、首相自身の意見(謝罪)が見えないなどと批判しているので、なんとなく白けてしまう。

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「左」からは首相自身の気持ちがないと批判され、「右」からは過去の談話を継承してしまうのかと批判されるこの談話なわけである。
そんな中、以下のような安倍談話を肯定する意見を見かけた。

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というこの人の意見は、とてもドライに、つまり「小林秀雄」的なる政治の捉え方をしているように思う。

他にもこの方は「国家の歴史認識を語るのは無理であって、歴史的事実は学術的に担保していくより他ない」という旨のことも語られている。

これも小林秀雄的政治観と合致する発想で、つまり政治の限界は「真ん中」を決めることなので、いわば「ややこしい」ことは専門家による議論を待ちます、というのはやっぱりそれもまた合理的だ。

なるべく早く動かないといけないことで、人が決めないと決まらないことは人で決めましょう=政治。

簡単に結論付けることの難しい問題で、史料の研究等時間をかけるべきことには時間をかけ、常に議論しながら決めていきましょう=学術

お互いに影響を与え合うべき部分もあれば、関与すべきでない部分もある、といったイメージすればいいか。

 
韓国が安倍談話に対し、わりと好意的な反応をしたことが最も重要だと思う。
 「残念な部分も少なくない」と言及。ただ、具体的な中身には触れず、「謝罪と反省を根幹とした歴代内閣の立場は揺るぎないと国際社会に明らかにしたことに注目する」と述べた。(戦後70年談話:韓国大統領 演説で具体的批判避ける - 毎日新聞
これから先、政治はどんどんドライに、真ん中を決めていく作業へと動き、マスコミだけがわーわーと「感情」をあおるように思う。
もちろん、ドライにやることが良いことだとは思わない。
その政治家の考える「真ん中」が真ん中かどうか、それはドライに考えて達成できることではなく、やはりどこかに「感情」が入り込む問題なので、監視が必要だ。
 
「真ん中」を定め、自動的に分配する装置としての国家なら、どんどん統合して、大きくできるところは大きく、しかし地方分権によりきめ細やかにやるべきところはきめ細やかにやるようにすればいい、と考えると、やっぱり行きつく先は国家の消滅なんじゃないかと思う。
 
安倍談話でぼかされた主語は、国という装置そのものがぼやけ、消え去る第一歩だった、と後世振り返られれば、面白いと思った。