izumishiyou’s diary

いつも考えていること

傘がない

問題のあるレストラン、第6話の傘泥棒のたとえ。

誰が傘泥棒かと言えば僕だ。

僕は傘泥棒だ。
バレた、気付かれた、という気持ち、この世の中がさーっと色を失った気がした。
 
誰が最初が分からない。
でも、僕が外に出ようとした時からすでに傘の数は合っていなくて、でもそんなこと気にせず僕は適当な傘を取って出て行く。
どれかは分からないけど、この内の一本は僕の傘だと確信してるから。
誰かが濡れるとしても、それが僕じゃないなら、関係ない。
濡れる人もいるだろうな、かわいそ。
それくらいしか思わない。
 
気付いた時にはそうだった。それが当たり前だった。
部活で疲れて帰ったらご飯が出て、お風呂が沸いてて、パジャマも出されててあとは寝るだけ。
ぜーんぶ母がやってくれてる。
いつがそれの最初か分からない。
僕が産まれた時か、父と結婚した時か、母が祖父母と一緒に暮らしていた時からか。
僕は自分の傘をまず確保して、母の傘がないことに気づかなかった。
振り返ったらずぶ濡れの母がいたので、「なんで傘ささずに外出たの!」と責めると「いいのいいの。あなたが濡れてなければそれでいいの」と言うばかりだった。
 
就職して、女性の同期を見て、本当に女の人で総合職で働く人っているんだと、心の底では思っていたんだと今思う。
「結婚したら辞めるんでしょ?」と言ったことがある。あるのだ。
働いてる女性を見たことがなかったから。考えてみると、学校に女性の先生がいたけど、見えてなかった。カウントしてなかった。
男子校で働く女性の先生は、思春期の男の子たちからセクハラを嫌という程浴びせられてた。
なんてこと、今思い返してやっと思い出した。当時は何も感じてなかった。
なんでわざわざ男子校で働くんやろ、変な人って思ってた。
女の人は結婚したら主婦になって、ぼんやり日向ぼっこしながら毎日過ごすのか、いいなあ、って、心の何処かで思ってた。
僕はこれから何十年も仕事しなくちゃならないのに、飲み会で上司に媚びへつらわなきゃならないのに、この女の子たちは「えー、そんなことないですよー」とか甲高い声で言ってれば飲み会も楽勝で、おっさんらにちやほやされるのだろうと、勝手に思ってた。
いや、うん、思ってたんだろう。そうじゃないと、あんなこと言えないはずだ。
そうだ。僕はそんなことを心の底では考えてたのだ。
馬鹿だ。
 
傘泥棒のたとえから、困窮のあまりパンを盗んだ罪はどうなるのだろうか、なんて「ああ無情」のことを考えた。
パンを盗んだジャン・バルジャンは、司教にあって改心してからも、結局ジャベール警部に見つからないよう、世間から身を隠し生きた。最期こそコゼットとマリウスに見守られ死んだけれど、罪を犯した過去とコゼットを引き連れ、逃げ回ったジャン・バルジャンだ。
正しくあろうとしても、正しくなかった過去がジャン・バルジャンを苦しめた。
傘を盗んだことをどうすればいいのか分からない。
母親はずぶ濡れのままだ。
同期の女性に言った言葉は戻らない。
あの女性の先生たちが受けただろうショックもどうにもできない。
「もう気にしてないよ」と言ってもらう?
「シンプルに考え」れば、それでおしまい?
怖い。
これからはちゃんと生きる、と思い実行する?
 
はじめからそうだったんだ、僕は悪くないんだ、ちゃんと改心したじゃないか、許せよとだけ言わないようにしたい。
ジャン・バルジャンが腐らなかったように、そしてマドレーヌ市長時代のことを誇らないように、死ぬまで罪を意識したように。
その気持ちを、こうしてここに書き溜めていきたい。
それが僕の「いつも考えていること」の一つのはずだから。
昨日は、眠れない夜だった。
 
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
ルカによる福音書15章11-13)

 

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:07彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

マタイによる福音書20章1-16