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いつも考えていること

大人は教えてくれないー家事のやり方について

先日カフェでお昼を食べていて、僕は周りの会話に聞き耳を立ててしまう悪癖があって、その日も背中から聞こえる女性2人組の会話を聞いていた。

どうやら片方の女性が結婚間近らしく、誰にスピーチしてもらうとか二次会の準備がどうというようなことを話していた。
その女性はすでに相手の男性と一緒に住んでいるらしく、その生活のことに話が及び、男性が家事をしないことが話題となっていた。
さらに、味噌汁を作るというので作らせたら、のんびり具材を切りやがるので、その間にお湯沸かせよ!とイライラしてしまったと言う。
僕は心が痛くなってしまって、今日まで引きずっている。
 
果たして男性はこの先もその調子、家事は彼女の仕事であると暗に陽に主張し、たまに味噌汁を作ればたとえ手際が悪かろうと充分な「お手伝い」をしたと胸を張るのだろうか。
そして彼女は、時折友人に会い、同じ愚痴をこぼすのだろうか。
二人でいれば喜びは二倍、悲しみは半分、なんて言葉もあるけれど、実際は洗濯物も料理も洗う食器も二倍、半分になったのは使えるお金、自由な時間、空間、あるいは愛情…、しゃれにならない。
渡る世間は鬼ばかり」のえなりくんのように、公認会計士をしながらも5時に退社し、家事どころか義父の介護をこなしつつ、それを負い目に感じる妻に連日「別れましょう」と大きな声を出されても「君と一緒に暮らせる今の暮らしがいいんだ」なんて言って優しく抱きしめられるほどできた人間もそうそういない。
 
問題を明文化すると
「男性はなぜ家事ができないのか」
ということになると思う。
これは独身、既婚に関わらない問題だ。
 
さらに問題を分解すれば
 
1.本人が家事をしたくない(家事は自分の仕事ではない)
2.家事の仕方がわからない
 
の2点にまとめられるだろう。
 
1の理由は、端的に言って、意識の問題だから、家事を自分の仕事と認識する/させるより他ない。
いわゆる家事に疲れた妻に対して夫が優しい声で「手伝うよ」などと言って逆に苛立たせるパターンだ。「手伝う」じゃなくてお前も主体的に取り組まんかい!というやつだ。
このことに関しては、散々言われていて、今もドラマ「残念な夫」なんかでも取り上げられている。
 
僕の考えを端折って言えば、夫婦がともに働き、家事を行えないと、どちらかにアクシデントがあった際、家庭運営が困難になるから、男性は家事をすべきであり、女性は仕事を続けることが重要である、と思う。
 
妻が風邪を引いた時に毎日出前を取るようではあかんのである。
夫が倒れた時に保険を当てにするより他ないのではあかんのである。
あるいは子どもが熱を出した時にいつも妻が仕事を中断しなくてはならないのはあかんのである。
また、親の介護に直面した時、なすりつけ合うことがあってはあかんのである。
そして、どちらかが先立った時、特に妻がいなくなることで家事を担当する人間がいなくなった、なんてことがあってはあかんのである。
 
「持続可能な家庭運営」の点からこそ家事労働の負担は二人で分け合い、収入のチャネルを絶やさないようにしないといけないし、家事は互いに担えるようにしておいた方がいい。
これが「1人より2人がいい」の本質であると僕は思う。
 
もちろん男女平等の観点からそれを述べることの方がもっともなのだが、あまりそれを前面に押し出すのは戦略的に効果的ではない。
現実的に男性の方が収入を得やすく、女性は出産による離職(一時的なものを含む)せざるを得ないことを鑑みれば、それを理由に「役割を分担することこそ男女平等なのだ」という理屈を提示することが可能になる。
むしろ男性は女性を守っているのだ、女性は守られないといけない、といった言説も出てくる。
それはただ言葉だけを聞けばまるで白馬の王子様のような、素敵な言葉に聞こえるけれど、実際は女性を閉じ込め、男性に依存しなければ生きていけない現状を再生産しているに過ぎない。
その点を責めようとすれば、いくらでもできるが、残念なことに倫理は結局人を動かさない。
神を信じるにあたってパスカルでさえもその利益が無限であること(あるいは信じなかった際の不利益の恐ろしさ)から、信じることに賭けてもよいとしたのであるから、利得をもたらす、あるいは損失を減らす観点から、役割分担のメリット、デメリットを提示する方が当然効果的であるのだろう。
結果が同じであれば、とりあえず過程はなんでもいい、のかもしれない(これは難しい問題だと思う)。
 
男性にせよ女性にせよ、これから何十年もバリバリ働くこと、というか2人分養いさらに将来の不安を取り除くだけの貯蓄や保険等への投資を行い続けられる自信のない人は(もちろん、僕にそんな自信はない)、リスクヘッジの点から2人とも仕事を持ち、2人とも家事をするという考えにコミットした方がいい、コミットしやすいと思うのだけれど、どうだろう。
(こんなこと全て僕のオリジナルな意見ではなく、様々な意見の集約でしかないので何も偉そうに言うことではないし、さてそもそも自分が実践できるかと言えばそれは不断の努力を要する…)
 
 
また、独身の男性に関しては、たとえば家の掃除は月に一度上京してくる母親にやってもらう、ご飯は牛丼やコンビニ、カッターシャツはクリーニング、なんて親とお金があれば外注できなくはないことが家事を遠ざける理由かもしれない。
いつまでもあると思うな親と金、だ。
前述の通り、夫婦であってもいわば夫は妻に家事を外注しているようなものだ。
親でも妻でも、外注できなくなってしまった時のことを考えないといけない。
 
 
さて2つ目の問題点にいきたい。というか、こちらが本題。
 
「家事の仕方がわからない…。」
 
何を言ってるんだとお思いかもしれないが、案外ある。というか、かなりあると思う。
少なくとも一人暮らしをして3年が経った僕は今でもこの思いにかられることがある。
もうちょっと分かりやすく言えば、洗濯物の干し方、服の畳み方、お皿の洗い方、収納のルール、料理のやり方、そんないろいろに女の子は何か「こうするんだ」という決まりがあって、下手に手を出したらその決まりを破っちゃうから、俺は家事はやりません。という発想のことだ。
ハンガーの向きはこっちとか靴下はこう畳むとかお皿を洗う時はこれくらい洗剤を使うとか水を止めてとかそのお皿はこっちに入れるとか、なんか決まりがあるんだと思うと、もはや俺は家事のできない男だ、となってしまう。いわゆる「家事ハラ」というやつかもしれない。
やればお米炊くくらい当然できるけど、柔らかさかたさにこだわりあるでしょ?それ俺よくわかんないしこだわりないから君がやったらいいじゃん、みたいな(なぜか関東弁)。


妻の家事ハラ白書 | ヘーベルハウス

 
しかしながら女性だって、初めは家事なんて知らなかったはずだ。
どこで習得したのだろうか。
習得のルートについて考えると、
 
1.自分で習得する
2.親が教えてくれる
3.学校で教わる
 
の3点があるかと思う。
別に家事に限らず、たとえばiPhoneの使い方を考えてみれば、親も学校も教えてくれなかったけど、自分で調べたり人に聞いて使い方を知っていったわけだし、あるいはビートルズを知ってるか知らないかなんてことで言えば親が聴いてた、教えてくれたから知ってる、なんてパターンだろうし、二次方程式の解の公式は学校で教わらなきゃたぶん知ろうともしないし親も教えてくれないだろう。
 
自分の知ってることを知ったルートというのはこの3つくらいのものだと思う。
つまり、知識とは個人による努力か、家庭という環境か、学校という社会的な装置から得るものなのである。
(友達、彼氏、彼女というのもあるけど、そういったルートは友達を環境と考えれば2に含むし、それはきっかけでしかないと言うならば1になるだろう。塾なんかは2か。まあおおよそどっかに含められるだろう)
 
だから、知らないということはその3つのルート(個人、家、社会)が全て閉ざされていた、ということだ。
年を取ってからそれまで興味のなかったもの、たとえば能や狂言のことを親が唐突に教えてくれるわけはないのだ(あるっちゃあるか)。
大人になったら、自分で知ろうとしなければ、もはや新しい知識を得ることはできない。
大人になるとは、知るための回路が「自分で習得する」以外なくなることだ。
 
そして、男性にとって家事とはその知る回路のどれからも切り離されたものだった。
男性は家事を「自分で習得する」こともなく、「親が教えてくれる」こともなく、「学校で教わる」こともなかった。だから、できない。
だから、今家事をしようと思い立っても知識がないからどうすればいいかわからない。
結果、俺が家事をするより君がやった方がいいでしょ、なんて拗ねる。
あるいは優しく教えてくれない妻が悪い、なんてわけのわからんことを言い出す。
果たして夫は妻に家事を教わるしかないのか。
この辺りの問題については、僕が書くよりも以下の記事を読んでもらった方がいい。
 


家事能力とアダルトチルドレン―妻は夫に家事を教えて当たり前ではない - yuhka-unoの日記

 

この手の話では、いつも妻が夫に家事を教えてあげる話になるのだが、まず、妻は夫に家事を教えてあげるのは当たり前ではない。女性の中にも、たまに家事を全くやってこなかった人はいるが、夫が教えてくれるわけではないケースのほうが多いだろう。そもそも、夫も家事能力が低い場合が多いからだ。

では、家事を全くやってなかった女性はどうするのかというと、たぶん、結婚という話が持ち上がった時点で、「やばい!私家事全然できない!」と思って、「花嫁修業」というやつをするんじゃないかな。そして、その場合は、家事を教わる相手はまず自分の親であり、親に教わることができない場合は、本なりネットなり料理教室の先生から教わろうとするものだろう。なので、家事を全くやってこなかった男性も、結婚前から「花婿修業」をすれば良いと思う。

問題は、なぜ男性は、結婚という話になった時点で「やばい!俺家事全然できない!」と思って「花婿修業」をしようと思うのではなく、「結婚してから、妻に教えてもらおう」と思ってしまうのか、ということだ。

 

女性の方が、家事を教わる機会が、家庭であるいは学校で、男性より多くあることは確かだが、それはサ行変格活用程度の知識でしかなく、日常で使うかと言えばそこまでフィードバックされるわけないのだから、本来は男性と同様の家事能力でしかないはずなのだ(まあでも一歩リード、というかじゃっかんの知識量の差はあるんだろうな。大学の第二外国語なんかを思い出せば、僕は中国語はさっぱり分からないけれど、フランス語ならつづりを見てある程度発音や意味が分かる。その違いは、大きく感じることもあるし、すぐに追い抜かせる差でもある)。

さて、どうしようか。
やっぱり、自分で習得するしかないのだ。
それが大人の知識の習得方法だ。
 
それでまあ僕は料理教室に行ってみようと思う。無印良品でエプロンを買ってみた。
一人暮らしであれ、家事をしなければならない。いつまでも鍋やみそ汁の毎日ではいかん。
なんてことを思った一人暮らし四年目の冬である。
家事、家事、家事と騒がしい僕である。たぶん、僕が言うほどに男性が家事できないことはなくて、みんな大抵はやればできるんだろうと思う。
自分の家事レベルが低いから、それ基準で考えすぎかもしれない
だからこそ僕は学ばなければならないのだと、自分に言い聞かせる。
 
 
(追記)
料理の話がメインぽくなってしまったが、掃除や洗濯でも同じだ。
たとえば中原淳一の本を読めば掃除のやり方が書いてある。もっと言えば、生活とか家庭にいかに喜びを見出すか、素敵な方法が満載。読んでるだけで生活が潤った気になって本から目を上げると汚い部屋…。

 

中原淳一エッセイ画集3 結婚 二人のしあわせ (コロナ・ブックス)
 

 

洗濯のやり方は洗濯機の説明書に結構詳しく書いてあった。

洗濯物の干し方も、アイロンのかけ方もすこしネットで調べればいっぱい出てきた。
 
破れた布の繕い方、靴の磨き方、スーツをクリーニングに出す頻度、衣替えの時期、年賀状の作り方、それをしなきゃならないと思わないことがまず必要で、やろうと思えばどれもやれることなのだ。
まず意識、そしてやり方は自分で調べる。
 
しかしながら、夫婦で家事をする際にたぶん難しいのは、お互いの「やり方」をどう許容するかだと思う。
ハンガーの向き、お皿の洗い方、服の畳み方…。こう干されてないと気持ちが悪い、その洗い方では綺麗になってない気がする、こう畳んでないと不吉な気がする…。
コミュニケーションしかないよなと思う。効率とこだわりで、妥協するより他ないし、溜めずに都度言い合うようにする。家事でも報告・連絡・相談。
 
でも料理は難しいから、料理教室に通うかあ。
あと、今月のポパイ読もう。
美味しいご飯、自分で作って、自分で食べよう。
それと、残業せず、飲み会に行かず、家で過ごす習慣をつけないと。
 
POPEYE(ポパイ) 2015年 03 月号 [雑誌]

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