diary

いつも考えていること

決定的でありながら、未確定な未来

小説の語源は、大説=国家や政治についての書物に対して虚構や空想の書物だから小説というのだと、Wikipediaなんかで読んだことがある。
本当かどうかは知らない。

大きな話、今の日本がこうしてこのようにあることは、肯定的にも否定的にも、過去の日本の行いがあるからである。
小さな話、私という一個人がこうしてこのようにあることもまた、肯定的にも否定的にも、過去の私の行い、そして祖先の生きてきた行いがあるからである。

不思議なことだけれど、大きな話も小さな話も、その構造は同じである。
過去の行いが積み重なって、今があり、未来へと続く無数の可能性と選ばれて残される一本の線がそこにある。
未来は、今は決まっていないものの、未来においては決定されている。
現在という地点では、そのページはまだ開かれておらず、現在の自分の行動が未来に影響を与える。
決定的でありながら、未確定である未来、というと伝わらないかもしれないけれど、未来とはそうなのだと思う。

具体的な政治の話、個人的な話をするつもりはなく、ただ、ニュースを見つつ、自分を振り返りつつ、その過去が積み重なり、現在を形作っているのだなと深く感じいる。

恐れるべきは、現在とは、すべて他の可能性の死に絶えた、ただ一つしか許されない「一本の線」で描かれる過去によって決定的に形作られている、ということだ。
現在という点は、過去という一本の線の先端でしかなく、未来とはこの点の行く末だ。
その行く末を決める複雑な関数において、どのような変数がどのように線のあり方を決定するかはおよそ計り知ることはできないが、確実なことは、自らも一変数である以上、その線の行く末を決める一要素とはなりうることであり、しかしその上で、厳然としてある関数の存在によって線の行く末は決定的であるとも言える。

直截に言えば、過去は変わらないが、未来は現在によって変わる可能性を持っている。と同時に、現在は過去の経緯により決まりつつある。
つまり、未来は未確定であり、かつ決定的である。

難しいことが言いたいんじゃなくて、僕の過去のいい加減な生き方が、今の生き方を決めている、と感じているということを言いたいだけだ。
高校生の頃、二十歳になんてなれないんじゃないかと思っていたあの頃、少なくとも三十歳で死ぬと信じていたあの頃、このような考え方は欠片も持っていなかった。
今だけが存在しており、過去も未来も感じることができなかった、というのは自分の未熟さだ。
その未熟な過去もまた、すでに決せられた過去であり、今に至る僕の線の一部分だから、情けなくてしょうがない。

しかし、先にも述べたとおり、現在は過去の先端であり、現在は未来を変える可能性だ、と信じている。

一時期宇宙とか物理学とかに関心があって、そういうような本をよく読んでいたのだけど、その中で「人間原理」という考え方を知った。
宇宙が今こうしてあるのは、つまり宇宙が始まり、あり得ないような条件が揃い、地球があり、人間があるこの奇跡的な状態は、奇跡が重なったからではなく、人間がいる現状から逆算して、そうなるしかなかった、という考え方と僕は理解している。
宇宙における奇跡的な現象も人間がいなければ知覚され得ないのであり、知覚する人間がいるからこそ、奇跡的にも必然的に起きた現象なのだ。

たとえば大変低い確率ながら宝くじに当たったとすれば、当たったことは奇跡的にも必然的なこと、と言える。そこに根拠はない。事実としてそうなのだ。

奇跡でありながら必然のこの世界という事実の総体、過去になった瞬間「それしかなかった」ことになるこの世界の不思議さ、強固なまでの不可逆性。
自分の人生だけでなく、無から生じ無へと帰すこの世界も一度きりしかない。時間の軸を一方通行している。

世界は、あるいは人生は、まずはこの一度きりしかない「それでしかない」ことだと思うと、なにかとんでもないことをやりたくなる気持ちにもなる。
他人に迷惑をかけようが、何をしようがいいや!と思う気になる。
でもそうではなくて、一度きりしかないとしか自分の能力では近くできないからこそ、もしかするとまったく別の次元において何度でも繰り返す可能性を感じ、何度繰り返されても「それでしかない」世界を、人生を描こうとデザインしたい。
つまり、「人間原理」的に、この世界がこうであるのは、人間が生まれるような物理法則、あらゆる凡庸な奇跡から成っているわけで、人間が滅びた後の知的生命体にすれば、なぜ過去に戻りやり直せないのか、とか、何度でも生き直せばいいじゃないか、とかいう「知的生命体原理」でこの世界を把握することだってあると思う。
そうだとしたら、今たまたま僕は現在は過去の先端であり、現在は未来を変える可能性だ、と知覚しているが、これはたまたま僕が今人間の端くれであるからで、ステージが変われば、想像し得ぬ世界観、時間感覚を持つかもしれない。
そう思えば、一度きりしかない人生なんて発想はとても貧しい発想で、この発想に依って人生をやっていくのは難しいし、基本的に一度きりしかない人生という発想の虚無感覚は耐え難いものがあるので、自分は自分の知覚において精一杯生きた!と別次元へとステージが変わっても言えるような生き方がしたい。その一つが一度きりしかない人生を何度でも生きる可能性を考慮しながら生きるという発想で、他にも何か新しい発想があるかもしれない。

かなり漠然としたことを書いたので、次からはもうちょっと具体的なことを書きたい。