Nu blog

いつも考えていること

日記

エゴン・シーレ展に行ったのですが、この人はなぜ自分の身体または女の身体を通じてしか世界を感じられないのだろうか、というのがよくわからなかったし、この人の描く女性の身体からなにか感じ取ることができず、なんだか不思議に思った。

なんだろうか、展示方法としても、性と死が強調されすぎなように思う。もうお亡くなりになってずいぶん経つのだから、天才画家的な見せ方ではなく、冷静な目線で、何が評価された点か、何が課題だったのかを見直すような、そういう展示にすべきだったと思う。

女性のヌードがあって、そのモチーフを現代のポリコレ的な視点から否定する、というようなことは考えないけれど、エロの目線で見ている男性が、実際にいたのがかなり不快だった。

また、数年交際した女性と「結婚向きではない」という理由で別れ、中産階級の女性と結婚した点も、なんの注釈もなく、そんな身勝手さをあたかも普通のことのようにキャプションとして書いてこられても、ちょっと困る。中産階級の女性、という修辞も意味がわからない。女性を形容する時に、階級だけを強調することの意味とは? なんなんだろう、なかなか不快度の高いものだった。

 

マリー・ローランサン展@Bunkamuraに行く。シャネルとの距離をひとつのテーマにしつつ、あまり見たことのないローランサンの絵もあってとてもおもしろかった。

ローランサンの絵を、女性的とかメルヘンティックとかはおもえなくて、むしろ底知れぬ人間の恐ろしさみたいなものを感じる。

だからか、動物を描くときのあいまいさ、そのあいまいさのかわいさに痺れる。わかるかなあ。まあ、いいや。

 

青弓社の『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』を読んだ。

戸田真琴は、アダルト業界に演者として身を置きつつ文筆業でも発信を続ける視点から、「資本主義が人間の尊厳を食いつぶそうと牙を剥くとき、なにかを売る側ができることはとても少なく、主体としての買う側の意識が変わらないと世界を大きく変えることは難しい」と、実感を込めて述べる。そして、「消費者が刺激に鈍くなり、より過激なものを求めるほど、つくる側はそれを売ります」「世界を変えるのは劇的な力を持ったスターではなく、そのスターを眼差すあなたです」と、ベクトルを受け手に向け返してみせる。アイドルのパーソナリティを享受することに慣れてしまえば、それが固有の人生を背負った生身の人格であることを忘れ、戸田が論じるところの「キャラクター」のようなものとして消費することに無自覚になっていく。p42

アイドルという職業が存在する社会を考えることは、というかあらゆる職業を通じて社会を考えることは、その「葛藤」にこそ、何らかの意味を持つのだろうとおもう。

 

リーグワンを見ていると、TMOで危険なプレーの判定をしている際に、解説の後藤翔太さんが「プロトコルに従った判定のため、ラグビーディシジョンとは異なる感覚だが、基準としては一定している」というようなことをおっしゃっていて、考えさせられる。

かなり前のことだが、シンビンだったかインゴールノッコン(グラウンディング)だったかの判定に対して、藤島大さんが「ラグビーの常識で考えるべきでは」というようなことをおっしゃっていたことを思い出した。

たしかにこれまでのラグビー感覚では、「お互い様」なところがちょっとあって、たとえばアクシデント的なヘッドオンタックルはままあるものとされてきたのが、かなり厳格化されている。

アクシデントを細かく取り締まることで、プレーヤーはそれへの対応を意識するから、ゲームの健全化が促進される、という流れなのだろう。

けれど、シンビンにするかどうかはもう少し考えてもいいと思う。特にレッドカードまでいくと、著しくゲームバランスが崩れる。検討されている新ルールでは、何分か後に別のプレーヤーを投入できるようになると聞いたことがある。少なくともそのルールは早めに採用されてほしい。

レフリーも大変だ。滑川レフリーが久保レフリーと英語でやりとりしていたのには、驚きとともに感動した。日本のラグビーの国際化、それは日本ラグビーの底が上がっていることを示しているようにも思うからだ。

まだもう少し試合はあるのだけれど、上位チームが絞られて、順位がもはやほぼ決まっている様子なのは少しもったいない。ラグビーそのものは楽しいのだが、もうすこし混戦も期待したい。いま一番の期待は、プレーオフでの大どんでん返しだ。

 

『エブリシング・エブリウエア・オール・アット・ワンス』を見た。めちゃくちゃ良いと思った。マルチバースと紹介されがちだが、もっと簡単に言って、あらゆる可能性とともにある「全部の私」を背負って今の私を生きる、ってことだと思うんですね。しかも、そのあらゆる可能性に対する「現状の情けなさ」みたいなニヒリズムを超えることがテーマになっているのも熱かった。その解決策が「優しくなろう」だなんてところにも感動させられてしまう。ギャグがうるさいところもあったけれど、後半の石になった世界なんかは最高だ。あんな尖った内容でアカデミー賞総なめとは……、すごい映画だ。

 

『ブラッシュアップライフ』。途中見てないところもあるので、フルに楽しめているわけではないけれど、最終回はとても良かった。これもまた、「全部の私で今の私を生きる」物語で、私はきっとそういうのが好きなのですね。ただ、こちらの物語は地元という圧倒的な存在があるから「ニヒリズム」が存在しない。実際はニヒリズムが蔓延している社会だから、この屈託のなさはある種の層には届かない、そんな気がした。しかし、このドラマの狙っている層は、その屈託のなさを受け入れる多くの人々なのだろうと思うし、その目論見は本当に成功していてすごいことだ。

 

民藝館で柚木沙弥郎展を見る。西館も同時に見られる日だったので、人の数がすごかった。柚木さんはインテリな人だから、親しみやすい文様などを生み出しているけれど、その裏には膨大な哲学があるのだろうと思う。そうした裏打ちされたものだから、人を魅了する。犬やメキシコ人、魚、燕。愛らしくてたまらない。周辺を散歩したら十数年前に、高校生の私が訪れたはずの近代文学館があってテンションが上がる。ああ、あのとき、一人旅で行ったなあ。こんなところに、あったんだなあ……。