Nu blog

いつも考えていること

日記

環境の変化に伴い、通勤が地下鉄から地上を走る路線になり、職場までの道のりも地下道から繁華街を通り抜けるルートへと変わった。朝の繁華街は、私とすれ違って駅へ行く若者らの余韻に満ちて、遙かなる希望を感じさせられる。夜の繁華街もまた活気づいていて、暖簾をくぐる人たちの陽気な顔が目に入ると生きていて良かったと思う。ネズミの圧死体、吐瀉物、排水溝から立ち上るドブくささ、巨大なカラスが横切る曇天。人々はより集まって、なんとかやり過ごそうとしていることがそこからも、ここからも見えて、愛おしい。醜さを煎じ詰めれば煎じ詰めるほど、人間でいてよかったと思えてならない。

そしてある帰り道、ポツポツと並ぶ街路樹の合間からあっちやこっちを向いたビルが山のように、ぐりぐりと重なって見えた。ビルは夕焼けに照らされて、今日も一日終わりましたね、といった風情。セザンヌの描いた、四角いものの連なる町のようでもあった。

 

というような毎日の中、最寄りの図書館がなかなか良い感じに古くて、蔵書にも厚みがあり、歩き回っていると2000年代の本を手に取っていることがある。それらの本を読んでいると、ああ、こんな本があったのに10代の自分は読まなかったのか、あの暗い部屋でFlashゲームとかやっていたのか、あるいは徒に武者小路実篤とか読んでたのか、と思ってしまう。昔の自分に対して、無性に腹が立つ。Flashゲームにも武者小路実篤にもなんの罪もないのだが、もっとやれた、もっとやるべきだった、と思ってならない。覆水盆に返らず。

 

そして久々に友人らと酒を飲んだ。そういうことをするのはしばらくぶりで、翌日のだるさが懐かしいような、こんなめんどくさいことはまたしばらくいいや、というような感じがした。

 

ここ数日、レキシの『レキシチ』を聴いてる。「たぶんmaybe明治」の「近代国家なんてほんとはなりたくないじゃない」という歌詞はなかなかに考えさせられる。MVに、ジェラードンから二人が出演し、見事な怪演を見せているのも白眉。

 

本日からゴールデンウィーク。なんだか久々な気分。ここ数年ゴールデンウィークってなかったような気がする。え、去年ゴールデンウィークあったっけ?だよね、やっぱりなかったよね!よかったー、僕だけかと思った。