Nu blog

いつも考えていること

ブックオフ大学ぶらぶら学部立読み暇潰し学科

考えてみれば、私の人生はブックオフから始まった。

あれは私が中学三年生の頃。祖父母の家近くにブックオフができたのである。時はブックオフ絶頂期、2004年のこと。

新規開店に釣られてそこを訪ねた母親が、「追悼 中島らも」特集のワゴンにまとめられた本を大人買いした。

ーーこれがすべての始まりである。(by 鮎川信夫)

それまでドリトル先生だの三毛猫ホームズだの宗田理だの、「小説」ばかり読んでいた私は目が覚めた。これではいかん、俺は「文学」を読まねばならん、と。

中島らもで文学に目覚める意味がいまいち伝わらない気がするが、中島らものエッセイにはそこはかとなく文学が散りばめられていた。こういう大人にならねば、となんだか間違った方に開眼し、稲垣足穂やらシュルレアリスムに傾倒するのだが、それは一旦置いておこう。

母親はそのブックオフを気に入ったのか、村上春樹の「ノルウェイの森」を仕入れてきたり、江國香織をやたらめったら買ってくるなど、安さに任せて買い漁り、私の本棚を埋めていった(リビングに本棚がなく、私にあてがわれていた部屋はそーいう物置扱いだった)。私も母と一緒にその店に行き、ついでにこれも、と何冊か買ってもらったものである。

だから、その頃本棚にあった本の多くに、ブックオフの値札が貼り付いていたと思う。定価で買うなんてバカらしい、と言い放ったこともあるほど、作家や出版社に対する敬意を失った我々親子であった。

 

その後、帰宅部と成り果てた私は、有り余った膨大な時間を通学路の途中にあったブックオフに費やすようになる。

他の同級生が、向かいにあるゲームセンターに入り浸る中、私はブックオフで足が痛くなるまで立ち読みをした。

一階の漫画の棚で、どうでもいい漫画を読み進めた(悪夢のような思い出だ)。

あるいは、その裏にあるCDコーナーを見ながら、バンド名を記憶しては家に帰って調べて、どんなジャンルの何なのかをチェックしたりもした。聴いてもいないのに、誰の影響を受けたらしいとか、そんなトリビアルな知識を蓄えたのもこの頃だった(悪夢だ)。

二階の棚で、哲学の本を眺めたり、文庫本をくまなく見て回った。近くのジュンク堂からハシゴしているので、あの頃の私は気が狂うほど本の背中を見まくっていた。本というのは不思議なもので、毎日背中を見ていると不意に目に飛び込んでくる一冊がある。それを手に取ると、ドンピシャ好みの表紙だったりする。菊池信義を知って、装丁好きになったのは、ブックオフジュンク堂のおかげだし、あの経験が、今美術館に行く趣味に繋がってたりするような気もする。

ああ、私は、ぶらぶら学部で最も学生数の多い学科「立読み暇潰し学科」に在籍していたのだろう。

 

大学卒業後、東京に来てからはブックオフなんてほとんど行かなかった。一度池袋のブックオフに行ったこともあるが、何も思わなかった。一冊だけ、町田康全詩集を100円で買えた時は嬉しかったが、私はいつのまにか、ブックオフ大学を中退していたのだ。

引っ越して五反田が近くなり、そこにあるブックオフを訪れたこともあるが、やっぱりピンと来なかった。100円のラックには、クソみたいな本しかなかったし、うざったいベストセラー本が定価の8割程度の価格で売られているのを見ると、気が狂いそうな気がした。

ブックオフ大学ぶらぶら学部』ではZさんが「ブックオフとせどらーはいかにして共倒れしたか」において、せどらーとブックオフの攻防を描いてくれている。そんなことかあったのか、と感嘆する。そして今、このようにつまらないブックオフが出来上がったのか、と。私が目を離していた間に、ブックオフ大学自体が変わっていたのであった。今やブックオフは本だけでなく総合リユース店。服だのポケモンカードだの、そういうものが売ってある店なのだ。

そういえば、サブスクの隆盛で、TSUTAYAの店舗も苦戦してるとか聞いたことがある。考えてみれば、TSUTAYAもまた、私にとっては大学だった。TSUTAYA大学ぶらぶら学部五枚千円学科である。TSUTAYAで得た知識もまた、今の私なのだが、名門両大学もすっかり変質して余りある。

 

今の若い人にとっても、そういうものがあるのだろうと思う。なんてくだらない日々だと毎日を存分に呪ってほしいと思う。慈しむようになったら、それが老いだから。

ーー青春の日々にこそお前の創造主に心を留めよ(聖書より)。

私の創造主はブックオフであった……。