国技館で大相撲秋場所初日を観覧した。昨年の九月場所以来の国技館。
昨年九月は、観客数の上限2500人としており、マス席は四人ではなく一人で使用することとされていた。かなり神妙な雰囲気で、歓声のない静かな場所だったことを覚えている。神聖な雰囲気があったと言えばあった。
今年九月場所は観客上限を5000人とし、マス席は二人利用とされた。その結果、昨年と比べて、かなり客入りがあるような、いわゆる「密」な印象を受けた。マス席での食事は禁止、アルコールももちろんダメ、声援もアウト、というのは昨年も今年も変わらないのだが、前後左右すぐに人がいて「あー」とか「わー」とか声が漏れるのが聞こえると、相互作用でもって場内にそういうような声がうねりをあげる。こりゃいかがなもんかね、と思わなくもない。
場外、つまり、エントランスや売店などかなりの行列があったのも印象的だった。公式ファンクラブというそれほど評判芳しくないサービスや芝田山親方(元横綱・大乃国)によるスイーツ販売などでワイワイガヤガヤ、通路を行き来するのが難しい場面さえ見られた。うーん、どうなんだ。
しかし、ちゃんこが食べられたのは嬉しかった。大広間でのちゃんこは中止だったが、お茶屋さんが並ぶ場所を飲食スペースとして開放しており、そこでちゃんこやカレーを食べられた。シーンとした黙食の空間、大変好感が持てました。
と、ここまでは運営に関する感想。
ここからが相撲について。
まず照ノ富士の土俵入りから。横綱土俵入りがアナウンスされると、万雷の拍手、祝福のムードが高まり、鳴り止まない。行司による警蹕で静まる場内。カメラのシャッター音がそこかしこで響くも、その無機質な音が静寂を際立たせる。
まるで数年前から綱を張っていたんじゃないかと思わせるほど、落ち着いた様子の照ノ富士。そう、彼はずっと前に横綱の地位に近づいた男なのだ。遅ればせながらようやく綱を締めただけであって、風格はすでにずっと前から持っていたのである。
と感心していたら土俵から降りる際、露払いの照強より先に降りてしまったのはご愛嬌。言葉にし難い感動的な土俵入りでした。
なお、白鵬は部屋の力士が新型コロナウイルスに感染したため、休場を余儀なくされた。両横綱の土俵入り、そして対決が見たかったが、無念。
国技館内、淡々と取組が進んでいく。少しだけがやがやした雰囲気の国技館が心地よい。野次が飛ばないから心穏やかである。
そういえば幕内土俵入りの際、豊昇龍を見て「あ、少し大きくなった!」と思った。すごくではなく少しである。そうしたら三日目の解説で立浪親方が「1キロ増えた」とおっしゃっていた。1キロで見た目が変わるわけがない。だが、この「数字的には大したことないがなぜか大きくなったように感じる」現象は日馬富士、鶴竜の時にもあった。何か自信をつけた時、掴みかけている時に訪れるものだと勝手に思っている。
すると、終盤、貴景勝と正代が、北勝富士と期待の豊昇龍に敗れた。豊昇龍、いいぞと思った。
大関二人が崩れたことにより場内のざわつきが高まる。照ノ富士、逸ノ城、結びの一番。懸賞幕が四回に分けて回っていく。落ち着いた様子の照ノ富士。負ける気配が感じられない。この組み合わせの感慨深さたるや。6年前に水入りなどの熱戦を繰り広げ、早晩「照逸」時代を築くこと間違いなしなどと気焔をあげて語ったことを思い出す。
が、取組はあっけないほどの横綱相撲。がっちりとまわしを掴み、万難を排した照ノ富士が逸ノ城を土俵の外へ追いやった。逸ノ城、場所前のコロナ感染により稽古不十分だったか。まあ、照ノ富士の相撲が良かっただけである。花道を下がっていく照ノ富士の背中に、どこか安堵の念を感じたのは私だけか。
かような初日を経て、結果として十五日間は照ノ富士の優勝で幕を閉じた。もはや全勝かと思われた横綱であったが、大栄翔、明生が良い相撲を見せた。照ノ富士に勝つには、万全速攻、何もさせない以外の手はないことが証明されたとも言える。のらりくらりで勝てる相手ではない。
十四日目まで阿武咲、遠藤、妙義龍が星一つの差で追いつつ、次々に脱落、妙義龍だけが完璧な相撲で正代に勝った。この相撲はすごかった。前みつをとって走った。会心の一番だった。その妙義龍も千秋楽では勝ち越しをかけた明生に敗れ、結びの一番を待たずに優勝が決まった。
しかし千秋楽結びの一番も照ノ富士はしっかりと締めた。十五日間、横綱として土俵を引き締めてくれたことに感謝しかない。
期待していた豊昇龍は急性扁桃炎で五日目に休場したが、PCR検査の結果が陰性で再出場。九日目には若隆景相手に体が機敏に反応し一本背負いを決めた。一本背負いはかつて栃の若が嵯牙司、里山相手に決められるなど小兵力士が背の高い力士に対して逆転する技のイメージだった。背格好の同程度の相手に対して切れ味抜群に繰り出されるのは初めて見たので感動した。休場の影響もあり今場所は大敗となったが、すぐに戻ってくるでしょう。楽しみです。
宇良も横綱戦を組まれるなど大いに土俵を盛り上げた。隠岐の海の渋い活躍も見逃せない。このように番付下位の力士が奮起したのに三賞が二人とは味気ない…。
コロナ禍において、イベントごとはどれも特殊な運営を強いられている。その結果経営にも大きな影響が出ているわけで、ご苦労は計り知れない。それでもこうやって国技館に来ると、祖父がその生涯で一度だけここに訪れた時のことを思い出す。といっても、同伴したわけではないから、どの席でどんな日でどうだったのかは知らない。ただ、母親が「お父さんは本当に相撲が好きだから」とあきれるような、嬉しがっているような、そんなことを言っていたのを思い出す。国技館とは相撲がめちゃくちゃ好きな人が一生に一度訪れるような特別な場所なのである。聖地といって過言ではない。
その国技館に、私、めちゃくちゃ行ってます。行くたび心洗われる。今は亡き祖父にも母にも、伝えたいと思ってしまう。
などと書き終えた途端に、千秋楽翌日の未明、「白鵬引退の意向固める」の速報が。どこかのスポーツ新聞による飛ばし記事ではなく、NHKも報道する確実なことのようだ。名古屋での優勝時、ご家族が涙を流していたのはこの背景があったからだろうか。あの時引退の二文字がチラついたのはあながち間違いでなかったことが辛い。また、照ノ富士との横綱対決がなかったことが本当に悔やまれる。残念でならない。
とはいえ、とにかく感謝の気持ちしかないのだ。大相撲が苦境に立っていた際、全力士を引っ張ってくれたのは白鵬だった。そして強い相撲で我々を魅了してくれた。勝ち続けることで相撲人気を取り戻してくれた。白鵬がいることで、幕内力士たちがその強さに挑む図式ができた。これがなければ、現在の相撲人気はなかった。
批判ははっきり言ってどうでもいい。反論する価値もないようなものばかりなので。
全勝優勝を最後に引退する。これはとても格好いいのではないか、と今時点では思う。九月場所を期せずして休場することになったことにより、「弱くなった」あるいは「怪我で力が出せない」という姿を衆目に晒すことなく去れるのも、ファンの精神衛生には案外良いかもしれない。
最強力士は強いまま去る。誰にも負けないまま。
現役力士、特に照ノ富士にとっては悔しいことかもしれない。もう勝てないのだから。
白鵬が築いたのは、一時代どころではなかった。朝青龍との熱戦、一人横綱、63連勝、日馬富士との熱戦、鶴竜、稀勢の里らとの四横綱時代、幕内千勝や大鵬を超える優勝などを経て、また一人横綱へ。新型コロナウイルスによる無観客場所での優勝、そして照ノ富士を迎えた上で、引退へ。白鵬一人で何度も何度もドラマを作ってきた。三世代分くらいの濃い土俵人生だった。こんな人生があるのだろうか。これから先、この人を超えるような力士が現れるだろうか。
しかし、相撲は続いていく。丸い土俵はずっとそこにあって、力士たちと我々観客を待っている。相撲は歴史という線であり、一方で一つ一つの取組の積み重ねという点でもある。そのどちらをも楽しむのが好角家である。白鵬という太く長く偉大な線が一旦途切れるとしても(むろん、白鵬の弟子たちが後を継いでいくわけだが!)、相撲の歴史は途切れないし、一番一番の取組の魅力はいつも私たちを楽しませてくれる。
それが生きるよすがだ。
白鵬関、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
と書き終えて数日。間垣襲名がようやく決まった。どうやらなにやら協会内部で揉めてたみたいで。ふざけてる。白鵬になんの条件をつけるのか。ばかばかしい。ある人が親方ちゃんねるみたいなしょうもないことしてる親方にこそ注文つけろとおっしゃっていたが、その通りと思う。あんなくだらないことやっている人たちには何も言わないなんて。白鵬親方が見たかったなあ。でもいいんです。応援してます。一生。たとえ相撲協会から離れる日が来ても。