Nu blog

いつも考えていること

スケッチ(ホタル)

一人はあかりをつけることが出来た。そのそばで 本を読むのは別の人だった。

夕焼けに照らされながら、長く延びる影と一緒に家に帰った。「おかえり」と真知の声。リビングを覗くと、本を抱えた真知の黒目が上下に動いていた。部屋の中が一瞬、真っ赤になって、そして真っ暗になった。日が暮れた。薄暗い部屋の中でも真知は本を眺めていた。

手洗いうがいをしてから、僕は部屋の電気を点けた。部屋がオレンジ色の灯に包まれた。真知が驚いた顔で視線を上げた。ありがとうと僕を見て言った。それからしばらく本を読んでいたが、どこか区切りがついたのか、栞を挟んで、机の上に本を置いた。

僕はその間シチューの材料を切っていた。真知が僕の隣に来て、シチュー作りの続きを手際よくやってのけてくれた。木のお椀と木のスプーンでシチューを食べた。夕食後、真知はまた本を読み始めた。僕はタバコを吸いに庭へ出た。ホタルが一匹、庭に迷い込んできていた。珍しいことのはずだ。川はそんなに近くにないので。

蛍の光とタバコの火を交互に眺めた。風が吹き、遠くで木の揺れる音がした。タバコを吸い終え、伸びかなんかをしていると、春がもたらす土の匂いに気づいた。そういえば、自然と長袖シャツ一枚で外に出ている。

部屋に戻ると真知はコーヒーを淹れていた。「本、読み終えたの?」と声をかけると「うん」と浮かない顔で答えた。「おもしろくなかった?」「ううん、どうもしんみりしちゃって」とのこと。

「ちょいと音楽かけるね」と一声かけて、レコードに針を落とし、向井秀徳が奏でるフィッシュ&チップスの「忘れらんねえよ」のカバーを聴いた。

 

(1行目は立原道造『暁と夕の詩』「Ⅲ 小譚詩」より)