Nu blog

いつも考えていること

スケッチ(噂)

その年、僕の通っていた高校は二つのことで話題になった。

一つは初めて甲子園に出場したことだった。我が県では、これまで十何年間連続でF高が出場していた。ここ数年、県大会決勝は毎年F高と我が校の組み合わせで、いつも負けていたから、大変な盛り上がりだった。

このニュースは、部活動に所属せず、アホ同士で「ダルいな」を言い合うばかりの日々を送っていた僕らには、まったく関係のないことだった。バスをチャーターして、大応援団を編成する、などの浮かれ騒ぎにも参加せず、ガムを噛んだり、雑草を千切ったりして夏は過ぎた。

結局初戦で負けたはずだが、試合を見ていないので、惜しかったのか大敗なのか、知らない。先日久々に高校野球を見かけたが、あれ以来また十数年、F高が連続出場しているようだ。2回戦突破もままならず、プロ選手を輩出するでもない、なんとも情けない強豪である。

もう一つは、数学科のY先生の結婚である。お相手が、僕と同じクラスの田中の父親だったので、生徒はもとより保護者の間での一時的な話題となった。

その程度で終わったならまだ平穏だったのだろうが、誰かわからないがそのことをSNSにツイートした奴がいて、しかもバズってしまったものだから、今話題のトピックとしてクソみたいなまとめ記事が乱立し(「調べてみましたがどこの高校かまではわかりませんでした!」)、「教師の恋愛事情」だのなんだのと、ワイドショーの数分間のネタとして使われたりもした。

高校名までは出なかったが、数人の生徒が「これうちの学校のことwww」などとツイートしたり、tiktokに動画を載せたりして、そういうことをすると処分されるらしいぞなどと噂が飛び交った。処分の二文字が流通するとともに、いろんな噂話が沈静化していった。

当のY先生と田中の周辺は、始めから終わりまで台風の目のように静かだった。二人のそばに行くと、噂話はピタリと止んだ。だから、二人がこのことをどう思っていたのか、知る由はない。むろん、田中の父親のことをぼくは見たことすらない。インターネット上では草刈正雄に似てるとされていたが、田中自身はどこをどう切り取っても、草でも刈りでもなかった。

この時ぼくは、噂話は誰も得しないし、SNSやワイドショーはろくなもんじゃないとつくづく感じたし、人は「処分」という言葉に弱いのだと知った。

他人のことは簡単に切り売りするのに、自分の身はかわいいのだから、身勝手なものである。

それくらいのことしかなく、高校三年間は終わっていった…。

 

(1行目は中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』「崩れた壁(上)」より)