Nu blog

いつも考えていること

スケッチ(習字)

地下鉄から降りてきたおばあさんから、書道の先生と同じにおいがした。書道の先生とは、もう二十年前、自分が小学生だった時に通っていたお習字教室のおばあちゃん先生のことだ。清水先生だった気がするが、私は小学生の時の記憶が極端に曖昧なので定かではない。数年前に実家が焼失し、昼間で父も母も不在だったから幸いだったものの、思い出という思い出は炭化してしまった。シナプスがどうにもならなければ、記憶は永遠に失われてしまう。

その習字教室は近所の子供らの溜まり場みたいな場所で、15時過ぎから18時まで、下駄箱に靴が溢れていた。

そんな中、学区外の小学校へ通っていた私は17時30分くらい、他の子らが「かーえろ、かえろ」と合唱し始めた頃に教室へ駆け込む。15分もすれば生徒は私だけだ。私はなんとか心を落ち着けて10分ほど筆を運ぶ。記憶の限りでは、ろくな字が書けた試しはない。先生が朱色の墨汁で跳ねやはらいを修正し、私はそれを意識して再度書き直してみても大したものは書けやしない。先生は私がいるテーブル以外の片付けを終えてしまう。二度三度先生の指導をもらって、その日1番マシな字を先生に預けて帰る。静かな教室、外は夏の夕焼けだったり、冬の暗闇だったりした。母親の仕事が遅いから、と同じ時間まで残っている一つ上の女子がいることもあった。その人は字が上手く、壁に優秀作品として飾られていたりした。私より背が20センチも高く、先生と親しげに話す様子が大人びて見えて、私は彼女が怖かった。

お月謝2500円の感触を思い出す。私が初めて触ったお金かもしれない。袋に書かれた年月と金額、100円玉5枚の時は袋の中でお金が動くのがわかる。500円玉の重みも好きだった。

四半世紀が過ぎた。先生ももう鬼籍に入っておられるだろう。当時すでに後期高齢者ではなかったか。幼い私には、細かなことはわからなかった。

あのにおいは墨汁のにおいと思っていたが、どうなのだろうか。習字セットでも買って、嗅いでみようか…。