自分のことかと思った。
実際やってみると改名にかかる手続きは大して多くない。ま、ぼくは資産を持ってないので、サイボーズの社長さんみたいに名義変更にウン十万かかったりしないからだけど。
住民票→免許証のコンボさえ決めれば、あとはもうどうにでもなる。ちゃんと押さえとかないといけないのは銀行口座とクレカくらい。会社関係は給料がちゃんと払い込まれるように手続きするだけ。旧姓使用ができるならメールアドレスや名刺も変えなくていい。
それでおしまい。
この記事の人とぼくが似てるのは、他人に怪訝な顔をされるのが好きなところ。相手の困惑する表情はとても楽しい。あー、この人の常識を超えれてるわーみたいな気持ちになる。
とはいえ多くの人は眉一つ動かさず普通に対応してくれる。姓が変わる人は珍しい存在じゃないのだから。
コメント一番上にある女性の好感度云々はわからない。そもそもわざわざ言うほどのことでもないから、多分なんかの機会であったこともあるだろうけど、反応は覚えてない。ほんと、そんなことどーだっていいじゃないか。
実家との関係は終わる。それは相手の受け止めなので、どうにもしようがないことだ。
妻の姓を選んだ人は他にもいる。たとえば朝日の記者さんや、
だいぶ変わってる夫婦とか、
逆張りする人とか
彼が妻の姓を名乗ろうと決めた理由は「姓を変える負担を彼女に押し付けたくない」というもの。彼曰く「姓を変えることにはそれなりの負担があると思いますが、自分ならその負担にうまく対処できる自信がある」とのことで、自信に溢れた言葉ですね。
とか
いろんな人がいるけれど、夫婦別姓制度導入の議論において主張されるほどに「手続きが面倒だ!」「アイデンティティが失われた!」みたいな男性は多くないように思う。
それよりも「面白いと思った」みたいなタイプが多い。
少数の人しかやらないことをあえてやるのが好きな人らだから、この反応なのだろうと思う。
だから、男性側で姓を変えた4%は(夫婦別姓賛成派にとって)あんまり当てにならない人たちである。あえての変人しかいないと言ってもいい。
96%の姓を変えた女性の中には、変えたくない!と思う人もたくさんいるだろうから、「アイデンティティが!」「手続きが!」となる。
それはとても不幸なことだから、やっぱり夫婦別姓制度は要る。
コイントスで決める社会になれば、姓を変えたくないのに変えさせられた男が騒ぎ出して、すぐに夫婦別姓が導入されるだろうに。
そんなわけでここ数年、ぼくは夫婦別姓にならなくても別に構わないと思っている。なったら元に戻すけど、それよりも「名がなんじゃ」の気持ちがある。
国が人を管理するための戸籍制度にこだわりたくない。ぼくのことはぼくがどう認識するか、あるいはぼくの身近な周囲の人がどう呼ぶかだから、戸籍なんて知らない(旧姓使用がある程度普及した現代だから言える強がりかもしれないが…)。
とにかく、そんなどうでもいいことにこだわり続ける日本社会はバカだなと冷笑する。なにに拘っているのかさっぱりわからない。